シリーズ小説

□ただ子どものように求めるばかりだった
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兄ちゃんが、目を赤くして帰ってきた。

いや、訪ねてきた。

俺の、新しい家に。

結婚して、子どもと奥さんと住んでいる家に。




兄ちゃんは、俺を殴った。
だけど、全然、痛くなかった。
でも、心がすっごく痛かった。

兄ちゃんは泣いてた。
怒りながら、泣いてた。
俺は、そんな兄ちゃんをただ呆然と見つめていた。










「いきなり、悪かったな」


兄ちゃんは俺と目はあわせずにそう言った。
痛くはなかったけど、俺の頬は少し赤くなっていた。


「ううん、大丈夫だよ」



奥さんは子どもと一緒に出掛けて行った。
気を利かしてくれたのだと思う。

俺も兄ちゃんも何も言わないでただ、時間だけが過ぎて行った。
お茶でも入れようかと思って席を立とうとすると、兄ちゃんが口を開いた。



「子ども、お前に似てるな。」

「あ、うん・・。俺の、子だもん。」


兄ちゃんの声は怒っても呆れてもなくてただ、本心なのだと思った。
俺は、いつもどおりに答えたつもりだったけど少しだけ、声がかすれた。




「そう、だよな。・・なぁ、フェリシアーノ」

「・・何。」

「お前は、菊の事を愛してたのか」


兄ちゃんは明日の天気を聞くように平然とそう言った。

無性にそれが許せなかった。


「愛してたか、って・・?菊を、愛してたか?」

「・・お前は・・。菊を悲しませた」

「菊を?うそつき、兄ちゃんのうそつき。菊は悲しんでなんかない。」



悲しんでるはずがない。

だって、菊は愛してると言っても曖昧に笑って。
キスをしてもただ受け入れるだけ。
身体を重ねてもただ受け入れてくれるだけだった。
それでもパスタを作って俺が来るのを待ってくれる菊を見ると愛されているのかな、とも思えた。
でも、不安だった。
愛してるとっても菊は言ってくれない。
キスも身体も求めるのは俺。




だから、俺は浮気をしてみた。

菊が怒ってくれるかもしれないから。

菊が悲しんでくれるかも知れないから。




でも、結局・・、菊は俺を怒ったりしなかった。
俺の前で泣いたりもしなかった。



菊は優しいから、きっと俺の想いを断れないんだ。

菊は優しいから、俺を突き放せないんだ。

俺は、片想いなんだ。





「結婚するって、菊に言った時さ、菊なんて言ったと思う?」

「・・・・・・。」

「おめでとうございます、お幸せに。だってさ」





もしかしたら、という思いが俺の中にあった。

もしかしたら、菊が俺を求めてくれるかもしれない、なんて。

だけど、菊の言葉で全部分かった。

俺の、独りよがり。

一方通行の愛だった。




「俺は、本気で菊を愛してた。だけど、それが菊には迷惑だったんだよ。」

「お前、それ本気で言ってんのか・・?」

「・・そうだよ。俺は、本気で菊を愛してた。」

「同じ男だけど、でもそんなの関係ないって思えた。本気で菊を愛してた!菊を、菊を・・、でも、菊は俺の事なんか・・」



愛してなかった、その言葉を口に出す事が出来なかった。
いや、出せなかった。
出してしまったら全部、否定するようで。
菊との思い出が全部ウソになりそうで。



愛してた。
本気で、ただ愛してた。
急に声が聞きたくなったり、声を聞いたら無性に会いたくなったり
会ったら抱きしめたくなるしキスもしたいしその先も・・。


菊には笑っていてほしいと思っていた。
だって菊が笑うと俺も嬉しいから。
菊には幸せになってほしいと思った。
だって菊が幸せだと俺も幸せだから。



菊を、幸せにしたかった。
だって愛してるんだから。
だから、絶対辛い思いなんてさせたくないし、涙だって流させたくない。
ただ幸せになってほしい。
ただ笑っていてほしい。
恋人の幸せを望むのは、当然でしょ?
・・・本気で愛してたんだ。
今だって、菊を嫌いになったわけじゃない。



「お前はバカだよ。本当に、バカだ。」

「兄ちゃんに、何が分かるの・・・」

「わかんねぇよ、お前の考えなんて・・。だけどな、菊がお前の事を愛していたのは俺にだって分かった。」

「・・・そんな訳、ない・・。菊が、俺の事を愛してたなんて・・」




ありえない。

だって菊は俺に好きだって言ってくれた事なんてないんだよ。
愛してるなんて、言ってくれたことない。
浮気をしても菊は平気だった。
それは俺に関心がないからでしょ?愛が、ないからでしょ?



「・・・・かよ・・」

「え?」

「好きでもない奴の為にあいつが泣くかよ!!目ぇ真っ赤にさしてまで、泣いたりするかよ!?」



菊が・・

ない、た・・?

なんで・・

菊が、泣いたって・・

そんなの、どうして・・・




「あいつは笑ってただろ!?お前といるとき、本当に幸せそうにっ」

「幸せ、そう・・」

「菊は人の好意にも疎くて、しかも本心を素直に言えないって言ったのはお前だったじゃねぇか」



だからその分、俺が愛を囁くんだ、そうお前は言ってただろ!?
















―――お前よくあいつと付き合えてるな

え?菊の事?なんで?

だってあいつ恋愛事とかダメそうだし。
手ぇ繋いだだけでも真っ赤になりそうじゃねぇかよ。

菊、すっごく可愛いよ。一目惚れだったんだ。

菊は人からの好意に疎くって、しかも自分の本心を素直に全部言えなくて付き合うまでに結構かかったよー。

それに兄ちゃんの言うとおり、菊すぐ赤くなるし愛してる、なんて言ったら爆発しそうなんだー

マジかよ。じゃあ菊は自分からそう言う事は言わねぇの?

うーん、そうだね。でも俺は菊の事が好きだし、菊も俺の事を好きだと思う。

はぁ?何でだよ?

だって、菊は言葉では言ってくれないけど行動とかちょっとした仕草で愛されてるなぁって、分かるもん。

ふーん、そういうもんか?

そういうものだよ。だから菊が言えない分は俺が愛を囁くんだ――――
















「何で・・・俺・・・忘れてたんだろ・・・」

「・・フェリシアーノ・・?」

「菊、俺の好きな料理をね、家に行くたびに作ってくれてたんだ。」

「・・・・・」

「俺のわがままだって嫌な顔しないで聞いてくれて。ちょっとした些細な事でもすっごい喜んでくれて」




菊は本当によく、笑っていた。

大声をあげて笑う事はなかったけど、でもスクスク、と小さな声をだして笑ってくれた。

笑っていて涙が少し目のふちにたまって、それを指ですくいって照れたように、はにかみながら微笑んでくれた。


菊が俺を呼ぶ声はいつだって優しかった。

その声が大好きだった。

菊は、いつも俺を受け入れてくれた。

それは・・・・菊が・・・



「菊が、俺を・・・受け入れてくれてたのは・・菊が俺の事を・・」

「愛していたからだろ。」

「・・・・・・っ」

「あいつは言葉にして伝えたりはできなかったかも知れねぇ。
お前の浮気にすら文句も泣き言も、何も言わなかったかも知れねぇ。
でも、それでもお前を突き放したり距離を取ったりしなかったのはあいつなりに、真剣にお前を愛していたからだろ。」




菊の優しい声だとか温かい手だとか
キスした後の潤んだ目とかちょっと赤くなったほっぺとか。
菊の作ってくれるパスタ。
俺が作ってほしいといった日本食。
菊の家の大きなお風呂。
縁側、炬燵、布団、台所、玄関、庭・・・
全部全部、菊の家のいたるところで思い出があって、ちょっとしたことだけど
でも大切な幸せな思い出で。



初めてデートした場所も。
初めてキスした場所も。
初めて身体を重ねた場所も。
その時の気持も。
その時の状況も。


全部、忘れてたなんて。



勝手に俺は、菊に愛されてない。

片想いなんだ、可哀想なのは俺なんだ、って思って。

それどころか菊が悪い、変に俺を受け入れて突き放さない菊が悪いなんて

そんなことを想ってしまってた俺が一番悪いのに。俺が、ただバカだったのに。



不安になってたから、なんて酷い言い訳。

俺は菊に飽きたのだろうか・・。

俺は、菊にもう愛を囁くのが面倒になったのだろうか。

俺は、俺が、菊に愛想をついてしまったの?





「・・・俺、菊と付き合う事にしたから。」

「・・・・え?でも・・、兄ちゃん、彼女は・・」

「別れた。お前には、もう関係ない話だろうけど。これからは、俺が菊を守る」

「・・・・そっか・・うん、兄ちゃんなら・・・菊を、守れると思う・・・」

「・・殴って悪かった、幸せになれよ。子どもと、奥さんと・・。」



そう言って兄ちゃんは部屋を静かに出て行った。

俺は、いつの間にか机に水溜りができている事に気づいた。

それが、自分の涙だって事にも。























俺は、今からすっごく酷い事を思うけど今日だけ、今だけ許してください。


そうしたら、もう思わないから。


絶対に、もう・・・。






結婚したかったわけじゃない。

子どもが欲しかったわけじゃない。

女の子は好きだったけど。

子どもだって大好きだったけど。

だけど、そんなものは無くったって良かった。


菊と一緒に入れればそれで良かったから。


菊は女の子じゃないから体だって俺よりも小柄だけどやっぱり女の子とは違うし。

それにどんなに身体を重ねても子どもなんて生まれない。

でも、それでも菊と一緒に入れるならそんなものは関係なかった。




今の奥さんが嫌いな訳じゃない。

自分の子どもが憎い訳じゃない。

だけど、菊の方が大事だし菊の方が今でも大好きだ。

きっとこの先も好きなのだと思う。




子どもが生まれなければ、なんて事は思わない。

だって自業自得だから。

子どもが生まれて、菊と離れてやっと自分の間違いに気づいた俺が。

今更、菊を守れるわけがないんだ。





どこで間違えたんだろう。

でも、これで良かったのかも知れない。

兄ちゃんは菊を幸せにしてくれるんだろうな。
兄ちゃんは、ずっと菊の事が好きだったもんね。
俺、知ってたよ。



兄ちゃん、俺はこんな事言える資格なんてないけど。



菊を幸せにしてね。

菊を泣かせないでね。



俺はできなかったけど、兄ちゃんなら・・。




菊、ごめんね。

バカでごめんね。

わがままでごめんね。

自分勝手でごめんね。



だけど、本当に、本当に愛してたよ。


菊、幸せになってね。




END

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