気付いたら隣に…

□同級生の警戒心
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その日、意外な事に誰からも素子ちゃんの事を聞かれなかった。

授業の合間の休憩はもちろん、昼休みにも皆はいつもと変わらない。

最初は、実は朝のやりとりで上手く誤魔化せていたんじゃないか、なんて考えたりもしたけれど、
いつもの顔ぶれで揃って昼食を食べていても、誰も何も言わないのは明らかに不自然だった。
しかも朝と同じように、僕と文次朗が定食を持って医務室に向かっても、その事に触れる人は誰もいない。

きっと、密かに探られているんだ。

そう思うと、緊張感にじわりと汗が吹き出すようだった。

そして今は授業が終わり、委員会も終わった夕飯時。
そっと医務室の天井裏に上がると、そこには先客が来ていた。

文次郎だ。

会話はせず、矢羽音すら使わず、僕は文次郎に近づいた。
文次郎がちらりとこちらを見て、再び眼下へと視線を向ける。
そこでは素子ちゃんが、薬研で熱心に薬草をすり潰していた。

新野先生に手伝いを申し出たという話はお昼に聞いていたが、どうやら彼女はその後も積極的に手伝いを続けているようだ。
だが新野先生は今、夕食の為に席を外されている。

素子ちゃんは医務室から出られず、新野先生は不在。
彼女を怪しむ人間が探りに来るには絶好の機会だと言えた。

本音を言えば、僕は堂々と彼女を守りたかった。
そしてそれは、医務室の中に僕と文次郎がいるだけで叶っただろう。
だけど、それでは学園長先生の指示に背くことになってしまうから、仕方なく僕たちは影から見守ることにしたのだけれど。

誰か来るのだろうか…?

彼女の存在は、現時点ではただの噂だ。
僕たちの動きを見ていたらその信憑性は高くなってしまうかもしれないけれど、それでも噂は噂。

こんなに早く、行動を起こす人がいるだろうか?

僕がそんなことを思い始めた時、目の前で文次郎の肩がピクリと揺れた。
そっと下を覗き込むと、そこでは…

仙蔵?

医務室の障子を音もなく開け、仙蔵がするりとその身を滑り込ませていた。

まさか、堂々と入口から入ってくるとは…さすが仙蔵。

なんて、よくわからないところに感心しつつ、僕は緊張しながら医務室を見下ろした。
仙蔵は気配を殺し、警戒しながら素子ちゃんに近づいていく。
素子ちゃんは、熱心に薬草をすり潰し続けていた。

………。

ゴリゴリゴリゴリ。

影が素子ちゃんの視界に入らないようにするためだろう。
仙蔵は、壁際をそっと進んでいく。

………。

ゴリゴリゴリゴリ。

僕はハッとした。
仙蔵の手に、苦無が握られていたからだ。

………。

ゴリゴリゴリゴリ。

仙蔵はゆっくりと素子ちゃんに近付き、やがて彼女をその間合いに捉え…、

………。

ゴリゴリゴリゴリ。

素子ちゃんの目の前に座り、その手元をじっと見つめた。

………。

ゴリゴリゴリゴリ。

………。

ゴリゴリゴリゴリ。

………。

ゴリゴリゴリゴリ。

………。

「…ぶっ……くくく…」

『笑うな、バカタレ!』

『ごめん…だって…』

文次郎に矢羽音で怒られたけど。
ごめん、無理だよ、堪えられない。

だって素子ちゃんは、
全く、ちっとも、これっぽっちも、仙蔵に気が付かないのだから。

最早、仙蔵は気配を消すことすらしていない。
彼女の目の前に普通に座り、ただ見つめているだけなのに、
素子ちゃんはひたすら薬研に集中していて、仙蔵に気付く様子は全くない。

眼下で、仙蔵から滲み出ていた緊張感が、みるみるうちに霧散していくのがわかった。
きっとひくひくと頬をひきつらせている事だろう。
それを想像すると、どうしても笑いが込み上げてきてしまう。

実習や忍務で、いろいろな事に耐えてきた。
痛みや、眠気や、寒さや、空腹。

だけど……。

笑いを耐えることが、こんなにも辛いと、
僕は初めて知ったのだった。

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