気付いたら隣に…

□癒し系の侵入者
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その女は、城崎素子と名乗った。
まだこの女の事は何もわからない。
だが、一つだけはっきりとわかった事があるとすれば、

それは、彼女は間者ではない、という事だ。

もしも間者であれば、彼女のような雰囲気 ―呑気でふんわりとしていて、場合によっては阿呆に見える、とでも言おうか― を上手く演じたとしても、水面下には必ず緊張感が存在する。
もちろん巧みにそれを隠せる者もいるだろうが、彼女にはそういった『偽物』とは決定的に違うものがあった。

彼女は、こちらの緊張感すら溶かしてしまうのだ。

はっきり言おう。
私は彼女の前で、緊張感を保つことに必死だった。
否、保つことが出来なかった。
気を緩めるとすぐに彼女につられて笑い、和んでしまう。
そしてそれは、たとえ水面下であろうとも自身が緊張感を保っていたなら、到底できない芸当だと思えた。

だから、私は座る彼女に視線を合わせ、そっと微笑みかけたのだ。

「先程は失礼した。私は六年い組の立花仙蔵だ」

私の瞳を見つめ返し、彼女もにこりと微笑んだ。
警戒を解き、緊張感を手放して、ただ彼女の笑顔を見つめてみれば、つられて私の笑みも深くなる。
なんとなく、何故文次郎と伊作が彼女を守るように動いていたのかが、わかったような気がした。

「立花さん、ですね」

口に出して私を呼び、その後に続けて彼女は何を言おうとしたのか。
なかなか興味深かったけれど、その続きを聞くことはかなわなかった。

すぱぁん!と大きな音をたて、医務室の障子が開かれる。
そこには、小平太と長次の姿があった。

「医務室では静かに」

伊作が保健委員長らしく窘めるが、小平太がそんな事を気にするはずもない。

「はっはっは! 細かいことは気にするな!」

いつものように笑い飛ばし、ずかずかと医務室の中に入ってくる小平太。
その視線の先には、彼女 ―素子、と呼ばせてもらう事にしよう― の姿があった。

「お前が、文次郎が連れてきたヤツだな!?」

満面の笑みを浮かべた小平太は文次郎の横を突き進み、私の前を通り過ぎ、そして素子の前でも止まらなかった。

「あ、の…?」

あろうことか布団の上に乗り、素子に覆いかぶさるようにしてその顔を覗き込んだのだ。

「おぉ、確かにこんな色の着物だった。昨夜は遠くて、顔までは見えなかったからな!」

だから今見せろ、という意味なのか?
至近距離で素子の顔を見る小平太は、傍からは襲いかかっているようにも見える。

徐々に近づく小平太に、当然素子は身を仰け反らせたが、やがて耐えきれなくなり布団の上に倒れこんだ。

「うきゃ!!」

背後に布団、眼前には小平太。
逃れる事の出来ない素子に小平太はそれでも近付いて…まるで接吻でもしそうな距離になった時、文次郎の拳が振り下ろされた。

「イダーっ!!」

「何をするつもりだ!!」

頭を抱える小平太を、文次郎が怒鳴りつける。
小平太はきょとんとした顔で文次朗を見上げた後、いつもの様に無邪気に笑った。

「すまんすまん、あんまり可愛かったから止まんなくなった」

なはは、と笑う小平太に反省した様子はない。
当然、照れた様子もない。
そんな小平太に文次郎が再び拳を振り上げ、小平太がそれをかわそうとするが、
静かに響く、伊作の一言がそれを止めた。

「二人とも、素子ちゃんが足を怪我してるって…わかってる?」

小平太が座っているのは布団の上。
つまりそれは、腰から下に布団を掛けている素子の足元の上でもある。

「あの、私なら大丈夫で…」

「素子ちゃんは黙ってて」

「…はい」

怪我が絡むと伊作は恐ろしい。

小平太はそろりと布団から降りたが、それは既に遅く、
そのまま部屋の隅に正座をさせられる事となった。

「なんで俺まで…」

そう呟く、文次朗と共に。

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