気付いたら隣に…

□騒がしいお風呂
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「こちらです」

ユキちゃんがカラリと戸を開けてくれて、文次郎さんに抱えられたまま戸口をくぐり、

「わぁ…」

湯気と共に視界に入った光景に、私は思わず感嘆の声を漏らしていた。

総木造りのお風呂場は、とても手入れが行き届いていてピカピカだった。
浴槽も洗い場もそれなりの広さがあって、一見すると老舗旅館のお風呂のようにも見えるけど、
蛇口やシャワーノズルが存在しない事が、なんだかとても不思議な気がして。

やっぱり時代が違うんだなぁ。

湧き上がる実感と共に、私は現実を噛みしめた。

ふと見れば、洗い場の中央には木製の椅子が置いてあり、どうやらそれは私の為に用意された物らしい。
山本シナ先生の指示に従って、文次郎さんはその椅子に私をそっと降ろしてくれた。

「ありがとうございます」

文次郎さんを見上げてそう言うと、頭にポンと手を乗せられる。
その間にも、伊作さんが私の足元に座り込み、シュルシュルと包帯をほどき始めていた。

何故だか、緊張してしまう。
いきなり『やっぱりお風呂はやめた方が良い』とか言われないよね?

ドキドキしながら見つめていると、傷の状態を確かめた伊作さんは顔を上げて微笑んだ。

「順調に回復してるね。後で薬を塗り直すから、残っている軟膏は洗い流しちゃって。少しくらいなら立っても良いけど、無理はしないこと」

お湯に浸かって皮膚が柔らかくなると、傷口が開きやすくなるからね。

注意点を口にする伊作さんは、珍しくキリリとした表情をしている。
その内容を記憶しながら、私はコクリと頷いた。

残念ながらまだ傷は塞がりきっていないけど、そんなに悪い状態でもないらしい。
とりあえずお風呂には入れるようで、私はホッと息を漏らすと伊作さんに微笑んだ。

「はい。気をつけます」

伊作さんは頷いて立ち上がると、文次郎さんの隣に並ぶ。
するとそれを待っていたかのように、山本シナ先生の声が響いた。

「それじゃ、ここからは私達に任せて。二人は一旦出て行ってちょうだい」

『はい』

返事をした文次郎さんと伊作さんが、くるりと背を向ける。

うん、そりゃあ、ね。

ここはお風呂場だし、これからの事を考えたら、二人が出て行くのは当たり前なんだけど…

何故だろう。

私は、本当に反射的に、
気付けば文次郎さんの服を掴んでいた。

「…? なんだ?」

あ、あれ?

「え…と、あの…」

特に、用は、ない。

ただ…きゅうっと胸を締め付けられるような息苦しさに、私は苦笑いを浮かべた。

…考えてみれば、今朝までは文次郎さんの顔が見えないだけで不安に駆られていたんだよね。
今日一日で、ようやく医務室には慣れたけど、それ以外の場所を私は知らない。

しかも女同士とはいえ、知らない人に囲まれてお風呂に入るのは、やっぱり心細いし不安にもなる。
それで、つい文次郎さんに手を伸ばしてしまったけど…。

甘え過ぎちゃいけない。
今朝、一人でも平気にならなきゃいけないって、そう思ったばかりなんだから。

私はそっと手を放すと、文次郎さんを見上げてにっこりと微笑んだ。

「すいません、なんでもないんです」

うん、ちゃんと笑えてる。
笑えてる…はず、なのに。

すぐにまた背を向けると思った文次郎さんは、少し迷った様子を見せて、
改めて私を見ると、ポリポリとこめかみを掻きながら言った。

「また、後でな」

それだけ言って出て行った文次郎さんに、私は一瞬息を飲み、そして深いため息をついた。

まったくもう、文次郎さんってば。
どうしてこんなに、私を安心させるのが上手いんだろう?

『また、後でな』

約束みたいに、重い意味のある言葉じゃない。
けれど見知らぬ場所や人に不安を感じている私には、それで十分だった。

本当に…優しいなぁ。

こんなに甘やかされてしまったら、どんどん文次郎さんから離れられなくなっちゃいそうだ。
でも、迷惑は掛けたくないから…。

目指せ! 精神的自立!!

心に強くそう誓い、グッと拳を握る。

そして改めてご挨拶をする為に振り向くと、山本シナ先生とくのたまの女の子達は、何故か驚いたような表情を浮かべていた。
そしてその視線は、たった今文次郎さんと伊作さんが姿を消した、お風呂の入り口を向いていて…。

「あの…?」

声を掛けると、山本シナ先生がハッと我に返り、くのたまの女の子達に指示を出した。

「作業は素早く丁寧に! いいわね!?」

『はい!』

そんな山本シナ先生と、テキパキと動き始めたくのたまの子達を頼もしく思いつつ、私は慌てて声を張り上げた。

「よろしくお願いします!」

久しぶりのお風呂はとても嬉しいけど…ね。
私はこの時、間違いなく緊張していた。

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