ある日の日曜日。
この日は、珍しく俺も美鶴も休みが取れて、数週間振りに会う約束をしていた。

刑事となって一年足らず。
刑事という職業は忙しく、休日と呼べる休日もこれまで月に2、3回程しかなかったように思える。
そのうえ、美鶴は美鶴で桐条グループの重役となって、多忙の日々を送っていた。
美鶴と会える時間は本当に少ない。
だから、その一日を大切にしたいと思っていたのだが…。





「久し振りだな」

待ち合わせ場所に行くとすでに美鶴は来ていて、柔らかく微笑みながらそう言って俺を出向かえてくれる。
昔と変わらないその微笑にほっとして、俺も笑みを浮かべて美鶴の正面に立った。

「すまない、待たせたか?」

寒い中、ずいぶん待ったのだろうか。
冷たい空気で美鶴の頬がほんのりと赤くなっていた。

「明彦に早く会いたくて、待ち合わせの30分前に到着してしまったんだ」

子供みたいだろう、と恥かしそうに言う美鶴の言葉に、嬉しさを感じられずにはいられない。
美鶴の両頬を手で包み込み、コツンと額同士をくっつける。

「俺も、美鶴に会いたかった」

二人とも同じ気持ちでいた事も嬉しくて、会えた喜びとお互いの存在を確かめるように、ぎゅっと体を抱き締めあう。
行き交う人の目も気にせず、しばらくの間、二人はそのままでいた。



「さて、これからどこに行こうか?少し早いが、食事にでも…」

― ピリリリリッ!

まずは昼食をと思い美鶴に声を掛けると、計ったように携帯電話の着信音が鳴り響いた。
嫌な予感がする。
美鶴に断りを入れて電話に出ると、向こうから慌てた様子の職場の先輩の声がした。

『真田、非番のところすまない。例の強盗殺人犯の潜伏先が割れたんだ』
「あの強盗殺人犯の…!?」

それは、自分達が追っている、先月起きた事件の事である。
金品を盗むために資産家の邸宅に押し入ったうえ、そこに住む老夫婦をも手に掛けたという、極めて凶悪な事件。
凶器や現場に残されていたものから犯人はすぐに割り出せたが、逃走を繰り返していたため、なかなか足を掴む事が出来なかったのだが…。

『これから総出で押さえに行く。悪いが、お前にも応援を頼みたい』
「これから…ですか…!?」

いつもなら“仕事だから”と何の疑いもなく飛び出せるのだが、今日は…、今だけは…。

思わず、ちらりと美鶴の顔を見る。
美鶴は全てを見透かしているように、静かに俺の顔を見つめ、コクリと小さく頷いた。
その美鶴の思いを理解した途端、申し訳ないという気持ちが胸に広がる。
だが、せっかくの美鶴の好意を無駄には出来ない。

「わかりました。すぐに向かいます」

そう答えて電話を切り、美鶴の方へ振り返る。

「…美鶴、その…、すまない…」

深々と頭を下げる。
せっかく取れた二人の時間を、仕事で駄目にしてしまうなんて。
怒られて当然の仕打ちなのにも関わらず、美鶴は静かに首を横に振った。

「明彦の仕事は理解しているつもりだ。気にしないでくれ。それに、またすぐ…会えるだろう…」

言葉の後半はやや自信なさ気に口にするが、優しく微笑みながら美鶴はそう言ってくれる。
しかし、その笑みにどこか寂しさを感じるのは気のせいではないだろう。
自分の事を我慢して俺の事を思ってくれる美鶴には、感謝しても足りないくらいだ。
美鶴の体を引き寄せて、再度力強く抱き締める。

「美鶴…。…ありがとう」

その場に美鶴だけを残し、俺は向かうべき所へと駆け出した。





「すまなかったな、真田。せっかくの休みを潰して」
「いえ…。それより、犯人を押さえる事が出来て良かったです」

車中、俺は先輩とそんな会話を車中で交わしていた。

意外にも、犯人はあっさりと逮捕されたが、その後の取調べやら諸々の事後処理ですっかり夜になってしまっていた。
もっと早く終わっていれば、もう一度美鶴に会えたかもしれない。
美鶴は今どうしているだろうか。
あの時は優しく見送ってくれたが、本当は怒っているのかもしれない…。

ぼんやりとそんな事を考えていると、俺の住んでいるマンションの前で車が止まった。

「送っていただいて、ありがとうございます」
「今日はゆっくり休め。それじゃあな」

俺を降ろして、先輩は早々に車を発進させる。
先輩はこの後も署に戻って、犯人の取調べをするらしい。
遠ざかる車を見送って、俺はマンションの中に入った。

自室の前まで来て、玄関の扉に鍵を挿して回すと異変に気付く。
すでに開錠されている状態であった。

おかしい。

出掛けた時は施錠したはずなのに。
物取りの可能性も想定して慎重に扉を開けて中の様子を窺うと、玄関に自分のものではない靴が見える。

やはり誰か居る。

物音を立てないように中に入ると…。

「これは…」

その靴を見て、俺は目を丸くした。
見覚えのある美鶴の靴だ。
まさかと思って慌ててリビングに向かうと、エプロンを纏った美鶴が食事の用意をしている姿が目に飛び込む。

「お帰り、明彦」

俺を視界に捉えた瞬間、満面の笑みで出迎えてくれる。

「みっ、美鶴、どうして…?」

突然の事に呆けていると、美鶴はくすくすと笑いながらポケットから何かを取り出した。

「忘れたのか?前に明彦がマンションの合鍵をくれただろう?今まで使う事がなかったから、私もうっかりしていたがな」
「あっ…」

そう言えば、俺がこのマンションに越してきた時に、美鶴に渡していたのを思い出す。
これまで、お互いが忙しかったものだから使用していなくて、すっかりその存在を忘れてしまっていた。

「黙って人の部屋に入るのは気が引けたが、もしかしたら明彦の仕事が早く終わって、少しの時間でも一緒に居られるかもしれないと思ったんだ。それに…、……明彦?」

言葉を途中で遮って、美鶴の体を自分の胸に引き寄せると、彼女は不思議そうに俺を見上げてくる。


素直に嬉しいと思った。


先程まで、美鶴に悪い事をしたと不安になっていたところに、まさかこんな形で出迎えてくれるだなんて。

「せっかくの休みを俺せいで駄目にして、本当にすまなかった。それなのにこんな…」

嬉しさを感じると同時に、やはり美鶴に寂しい思いをさせてしまったのだろうと、心苦しさに駆られる。
それが伝わってしまったのか、美鶴はそっと俺の背に細い腕を回し、甘えるように胸に擦り寄って、

「明彦は刑事として当然の事をしているんだ。謝る必要はない。それに、明彦の頑張っている姿を見るのが、何よりも嬉しいんだ。だから、もしあの時、仕事よりも私との事を選んでお前が行かなかったら、私は怒っていただろうな」

と、まるで安心させてくれるようにそう言ってくれた。


美鶴の気持ちが心に染み渡る。
こんなに俺の事を理解して思ってくれるのは、美鶴しかいないだろう。
改めて、そんな彼女と出会えた事の喜びと、自分には彼女が必要な存在だと思い知らされる。
だから、これからは美鶴を寂しい思いや、悲しませないように、大切にしていきたい。

「…ありがとう、美鶴」

全ての思いをその一言に込めて、美鶴の唇にそっとキスを落とした。




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