斉藤君と幸人さん

□第五話
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(季節は夏)










寝てしまったのか。

少し開いた扉の隙間から大好物の香りがする。

誘われるように部屋を出ると腰に巻くだけのエプロンを付けた彼―斉藤大紀―と目が合った。


「あ…おはようございます。って言ってももう7時ですけどね」


「あ…おはよう、ございまふ…」


欠伸…こんな時に出ないで欲しかった…


「シチュー…ですか?」

「はい。…せめてもの罪滅ぼし、と言ってはおかしいかもしれませんけど」

「はぁ…。うぇ、あ、べ、つに、あの、その」


午前中に起こった事故…と言うのだろうか、それを思い出した。

彼は、何とも言えない表情でシチューに蓋をして火を弱めた。


「…もうすぐ出来ますから」

「あ…あぁ、はい…」


セミが鳴く


「幸人さん」

「ははははい!!」

「驚き過ぎです」

「すみません…」

「謝らなくてもいいのに」

「すみません…」

「あ、謝った」

「すみま、あ、う…」

「おかしいですよ」


他愛のないやり取り。

今朝の出来事などなかったかのように、本当に、何でもないただのやり取り。


「幸人さん」

「はい…」

「…呼んだだけです」

「な、なんでしゅ、か!!」


相変わらず呂律のまわらないこの口。

ほんと、いい加減慣れた方がいいのに…


「ほんと…可愛い」


呟かれた言葉に顔が赤くなる。

そんなに切なげに呟くものだから、自分も胸が熱くなった。


「そういうのは…好きな相手に言うべきです…」

「僕は、好きな人しか愛でません」


どこか寂しげな表情。

自分の知らない彼の表情に少し嬉しくなった。


「幸人さんだから可愛いと言うし、料理だって世話だってします。…キスだって」


申し訳なさそうに浮かべた笑顔のまま唇を寄せられる。


「(そういえば…初めてだ)」


頭では冷静に考えてしまう。


「(気持ちいい…)」


男の割には柔らかい彼の唇は、自分の唇を食むようにして動く。

時折彼の熱い吐息が離れた唇から漏れ溢れる。

目眩がした。

これは恐怖?嫌悪?緊張?

違う。

快楽だ。


「幸人さん…」

「ぇと…あの…」

「…ごめんなさい。困らせるつもりはないんです」


―あなたが、好きだから

熱っぽく囁かれれば腹部が疼く。

耳朶に唇を寄せられれば肩がすくむ。


「幸人、さん…?」


彼は懲りない男なのだろうか。

自分が今朝倒れたにも関わらずこうしてまた迫ってくる。


「ご、ごめんなさい…」

「あ…、ん…と、べ、別に、その、あの…」

「ご飯、食べましょう」


さっさと彼は自分から離れてしまう。

……熱い、


「ふらふら、する…」

「え…?ちょ、幸人さん!?」


また、倒れた。
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