斉藤君と幸人さん
□第七話
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「え、お前、永田…?」
髪は黒くてセミロング、眉は整っていて銀縁の眼鏡。
柔らかな笑顔を浮かべた姿が、今の僕の姿だ。
「そう」
周りは戸惑う、というよりは好奇の眼差しで見てくる。
無理もない。
学生時代の僕は、あまりにもひどかったから。
「嘘、永田ってあの永田だよね…」
「うん…。でもさ、凄いイメチェンだよね…」
周囲の声に密かに口の端をあげる。
「(人間なんて、所詮容姿だけだ)」
そもそも僕がこんな下衆ばかりの場所に、自分の得にならないやつらばかりの所に来る理由がない。
しかし僕の今後の為には来なくてはならなかったのだ。
嫌だけど。
「永田、お前すげー変わったな。今何やってんだ?退学してから行方知らずだったけどよ」
「実家の手伝いをしながら自分のしたいこと探してた。フランスに飛んだりしてまだ探してる最中だけど、まあ今は今で楽しくやってるよ」
「え?お前の家って何やってたっけ」
「洋服ブランドを手掛けてるんだ。父さんも母さんもデザインするのが好きだからね。まあそのおかげで服を買いに行く手間が省けるんだけど」
自社買い取りってやつ?
周囲がざわつく。
無理もない。
僕が着ている服は老若男女分け隔てなく人気で大手ブランドと競い合うほどの人気を誇り、今やファッション雑誌に引っ張りだこのNAGATAブランドの物なのだから。
まさかこんな身近に制作者の親族がいるなんて思わないだろう。
黄色い声が小さく所々で聞こえた。
それにも小さく笑いを浮かべてしまう。
浅ましい。
お前たちは僕のことなんて見てもいなかったじゃないか。
それを今さら、たかが服や容姿に流されるなんて。
自分勝手もいいとこだ。
なんて、言うつもりはないけれど思ってみたりとか。
「あれ、そういえば桐山くんは?」
「桐山?誰だっけ」
「ほら、同じクラスでいつも本読んでるか外にいて、眼鏡でさ」
「あー、いつも教室の隅でよく分かんない本読んでたあいつ?来てんのかね、つか招待状出した?」
「片岡センが全員に出したから届いてるんじゃない?でもさ、なーんか人間嫌いっぽくなかった?来ないかもね」
なんてこった。
考えてもいなかった。
彼が、桐山幸人が来ないだなんて。
それならば僕だって来る必要がないじゃないか。
今更ながら帰ろうか。
いや、まだ分からない。
来ているかも分からないじゃないか、僕は何を焦っているんだ…?
「何?あいつがどうかしたの?」
「ちょっと気になることがあってね」
「そういえば永田くん、あいつに雰囲気似てたよね」
「そうそう!!地味で眼鏡もでかくてさ。前髪長いし全体的に暗め」
「そうだったかな、忘れたよ」
そう、忘れた。
あんな過去、捨てて当然な過去だ。
「ちょっと、ごめん」
もしも来ていなかったら…?
背中を伝う嫌な汗の感触に眉間に皺が寄る。
また、また手放してしまうのか…?
「幸人さん、ほーら。先生探してきてください。僕、ここで座ってますから」
扉の向こうの会話の一部。
"幸人"というワードを耳にした。
聞き間違いではないだろうか。
いけないと分かってはいるが、思わず聞き耳をたてた。
「う゛…。来て、くれないんれすか…?」
「僕はあくまで他人です。幸人さんの先生なんですから、幸人さんが行ってらっしゃい」
「人いっぱい…」
「そんな顔されたら抱き締めてやりたくなるじゃないですか…。分かりました。行きます」
「あ、ありがとう…ござい、ます」
間違いではない。
幸人だ。
喜びのあまり、あちらにはお構い無しに扉を荒く開ける。
引き戸だったのが幸いだった。
「ぅひっ!!!」
「あ…すみません。うるさかったでしょうか。ほら幸人さん、入って」
「う…や…」
「大丈夫。ほら」
間違いではない。
目の前に高校の時と変わらない黒髪ですぐ涙の溜まる目の桐山幸人がいる。
一応最低限のマナーとして戸を閉めると、当たり前か、不思議そうな顔を幸人の隣の男にされた。
「あの…」
「…幸人」
自分でも驚くほどの甘い声に、幸人は目を見開く。
「…幸人さんの、知り合い、ですか?」
「う…?だ、誰…?」
「永田明…覚えてるかな」
小さく跳ねる体と恐怖の表情。
みるみる涙が溜まっていく幸人の瞳。
「幸人さん…?」
「や…やだ、なんで、やだ、やだ、やだ…」
「ちょっと、落ち着いてください幸人さん」
パニックは直ってないらしい。
隣の彼に頭を撫でられて少しは落ち着いてきたらしいが、こっちに怯えた眼差しを向けている。
昔の自分なら、罪悪感に蝕まれひどく落ち込むだろう。
けど今は違う。
彼を手に入れるためなら、どんな手でも使う。
例え怯えていようとも、必ず。
「あの…すみません。あなた幸人さんのなんですか」
「何って…?」
「ここまで怯える幸人さん見るのは初めてです。…幸人さんを苛めてた方ですか?」
「僕が彼を苛める?何でそんなことをする必要があるんです?僕たちはただのクラスメート、友達です。それより…あなたこそ、誰ですか。見たところ年下かそこらに見えますが」
「僕は幸人さんの同居人です」
「同居人…?」
親が死んだのは知っている。
しかし同居人がいたなんて知らなかった。
「ぁ、あの…さ、いと、さん…帰りたい…怖い…やだ…」
「僕も今、同じこと考えてましたよ。帰りましょうか」
「っ…幸人」
「ぅひ!!!」
全身から溢れる拒否反応。
怯えきった瞳。
…いいじゃないか。
「また会おう。今度は…二人で」
「っ…む、無理、れす…。自分、えと、仕事、してて…」
「君が仕事なんて出来るわけないだろう?」
「う…」
「大丈夫、怖い思いはさせないから」
「や…あの、」
「お断りします」
同居人は、表には出していないにしろものすごい怒りのオーラを身に纏っていた。
幸人への気遣いなのだろうか。
そんなこと、今はどうでもいい。
「君には関係無いだろう?これは僕と幸人とのことだ。部外者は入らないでもらいたい」
「関係無くはないんですよ。幸人さんは僕の恋人ですから」
「こい、びと…?」
あり得ない。
あの人嫌いの幸人に恋人が出来るはずがない。
あまりに突然の出来事に脳内がパニックを起こした。
目の前がチカチカする。
胸が苦しい。
こんなに動揺したのは初めてだった。
「ぅ…あ、の…永田、くん……明、くん…苦しい、よね…パニック、起こると…」
「…幸人?」
「っ…、あ、あ、あの、だから、その、無理、しないで…」
怯えた目で、でも心配げに見つめるその目に僕は、最低なのだが、欲情してしまった。
ただこれ以上嫌われてもしょうがないから、それに周りの評価が落ちても嫌だから、諦めざるを得なかった訳だが。
「……驚いたな。人嫌いの桐山幸人があんなことされた相手に心配そうな目をしてる」
「っ…」
「今日はもう帰るよ。…またね、幸人」
このくらいは許されるだろう。
僕はキツく目を閉じている幸人の額にキスを一つ落とした。
途端に怒気爆発の隣の彼。
「てめえっ…!!!!」
「場所と状況を考えた方がいいよ、同居人」
掴みかかってきた同居人の目は僕一直線だった。
…相手が幸人だったら、と思ってしまった僕はもうダメな気がする。
「…さっさと、帰ってください。幸人さん、帰りますよ」
「は、はいっ…」
帰り姿を眺めていて気付いたこと一つ。
手を繋ぐところまで発展していない。
ほんとに恋人なのだろうか。
もし本当だとしてもあんな状態じゃあまだ入る余地がありそうだ。
「…ここが一番楽しいところ」
幸人、君は、僕のものだ。
思わず緩む頬を無理矢理締めて、僕は店を後にした。