斉藤君と幸人さん

□第八話
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大紀は怒っていた。

人の感情に敏感な幸人はすぐにそれを汲み取った。


「あ、あの、お、怒ってます、よね…」

「別に幸人さんに怒ってるとかそういう訳じゃないので気にしなくていいですよ。それより…」


幸人の手がとられ、そのままソファに倒された。

俗に言う押し倒される、という姿に幸人は戸惑った。

いや、驚いたのかもしれない。

過去に一度だけ迫られたりはしたがそれ以外は全くと言っていいほど何もなかった。

それどころか大紀は好きだとも言わなくなった。

幸人が自覚しだした頃からだ。

肝心の気持ちを口にする前に無言の圧力のようなものに押し潰されそうになった。

聞かれないのだから答えようがない。

押し潰されそうなほどの気持ちを胸に、幸人はどうしたらいいのか分からなくなった。


「幸人さん…あの男に何されたんですか…」

「だ、だだだ誰の、こと…?」


大紀が怖くて仕方がない。

けど、それを言えない自分がいた。


「誰って…さっき会った男ですよ。幸人さんのこと、親しげに幸人って呼んでた…」

「な、永田、くん…?」

「永田…そうですか。彼と何があったんですか?」


深く深く追求してくる目つき。

思わず体を竦めてしまった。


「僕に言えないようなやましいことでもあったんですか」

「……」


言えない。

言えるはずがない。

嫌われでもしたら、そう考えるだけで指先が痺れるくらい血の気が引いた。


「幸人さん」


嫌われたくない。

でも言わなければ余計嫌われてしまうかもしれない。


「…じ、自分が、まだ不登校じゃない時、その、永田くんは、自分の、その、近くにいてくれて…それで…」

「それで?」

「あ、あの、一度だけ、迫られたことが、あって…」

「迫られた…?」

「で、でも、ほ、ほほほ本番は、やってないんですけ、ど、それで、えっと…それだけ、です…」

「それだけ…」

「は、ははははいっ…」


大紀の瞳が、ゆっくり幸人の瞳を見つめた。

黒い瞳がうっすら茶色がかった瞳を見つめる。

口からは掠れた息しか出てこない。


「はぁ…はぁ…」

「…ごめんなさい」


ゆっくり腕を解かれ、覆い被さるように乗られた。

幸人の心中は穏やかでない。

久しぶりの人のぬくもり。

大紀の温かみ。


「僕…永田さん、苦手です」

「え…?」

「何でも出来そうで人当たりも良さそうで…何より、かっこよかったです」


確かに幸人が知っている永田の顔ではなかった。

かっこよくはなっていたが、近寄りがたくなったのは事実だった。


「それに…僕の知らない幸人さんを知ってそうで、嫌です。…幸人さんは、僕のなのに」


息が詰まるほど、眼鏡が顔に食い込むほど抱き締められた。

苦しいし痛い。

もがこうにももがけない。

嫌では…ない。

胸が苦しい。

違う意味で。

大紀の表情が見えない分、幸人の心中は穏やかでない。

大紀は幸人を自分のものだと言った。

心からの言葉なのか。

意図は分かりかねるがそれでも幸人の胸は暖かかった。

けど生死の境をさ迷うのはごめんなので、出来るだけもがいてみる。


「ふにっ…あ、あのっ…くるひぃ…」

「あ…ごめんなさい」


力が弱められると同時に脳内に血液が一気に流れる。

クラリとそのままソファに沈み込むと幸人はじっと大紀を見つめた。

いや、見てしまったのだ。

それも、何気なく。


「…自分のことが、好きなんですか…?」

「…何度も言ってるじゃないですか。なんで信じてくれないんですか」


不機嫌な大紀はいつもより随分子供らしくて改めて幸人に年下なのだと分からせる。


「…斉藤さん、て、年下、なんですね…」

「そうですよ。幸人さんより2つも年下なんです。だから子供で、わがままなんです」


まるで甘えてくる猫のようだ。

幸人の首筋に頬を擦り寄せてくる。


「…好きです、幸人さん…」

「…あ、あの…」

「傍に、置いておくだけでいいです…。幸人さんから、離れたくない…」


腹の内から絞り出すような小さな声。

掠れた声。

息が荒い。

ああ彼は、大紀はこの想いを絞りだし伝えるのに必死なのだ。

何も考えられない。

息を吸うことすら忘れてしまう。

大紀は、幸人から離れまいともがいてもがいて、それでも懸命に自分自身を伝えようと足掻いている。

愛しい。

彼が、大紀が。

幸人の思考が止まる。

見つめることが、困難になる。


「…幸人さん?」


鼻の奥が、ツンと痛い。

目頭が熱い。

泣いているのだと気付くのに、これだけかかるとは。

幸人は冷静に思っていた。


「泣かないで下さい。幸人さん」

「あ、あの、」


伝えなきゃ。

伝えなくては。

ひいひいと息は上がる。

涙で視界はぼやける。

嗚咽が止まらない。

大紀の心配そうな、そして困った顔が辛うじて見える。

―愛しい、彼が。


「   」

「…え、」


―自分も、好き、れす…

噛まないようにと、ぶれないようにと必死だった。

涙は止まらない。

苦しいままで、だけど大紀の腕にしがみついていた。

幸人の耳元に大紀の髪がかかる。

肩口に頬を寄せると耳が目に入る。

大紀の動きが止まった。


「はぁ…」


どうしよう、止まらない。

気付くと幸人は大紀の耳朶を唇で甘く噛んでいた。

涙で視界はぼやけたまま、それでも幸人は大紀の耳朶を食み続けた。


「ゆ、きと、さん…?」

「ひぃっ…く、ひ、う、うぅ…」


涙は止まらない。

大紀の腕が、背中に回る。

強く強く、体の一部に取り込まれるかの如く抱き止められた。

―ドク ドク ドク ドク

鼓動は重なりあい、大紀は幸人の唇を奪う。

どちらからともなく口が開く。

舌が絡む。

涙が、幸人の涙が、引いていく―







(いっそ、)
(このまま、)






(溶けて、混ざりあえたらいいのに…)

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