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殿下の手腕は、鮮やかだった。
私は今迄、己の判断や単独での戦闘技術に自信を持つ上、特別優秀という訳でも無い指揮官の下に配属されていた為、愚かな事に、指揮を執るという事に関して大きな意味を見出だせないでいたが、殿下はそんな私の価値観を一瞬にして変えた。
戦略という物をこれ程迄使いこなせる人も、そう居ないだろう。
流石と言った所か。
それでも、私には基本的な幾つかを要求するだけで、後は自由に動いて構わないと言う。
…殿下は私の事を高く評価して下さっている。
「でーんかぁー」
「ほわっ…、ジノ!?」
駆け寄っていきなり抱き付くと、殿下は裏返った声を上げた。
私はもう一つ、大きく間違った認識を持っていた様だった。
「ルルーシュ殿下、今日も麗しい」
私が白い手にキスすると、殿下は慌てて腕ごと引っ込める。
「バカっ、何言ってるんだ」
そうムキになって言う殿下の顔は真っ赤だ。
私は殿下の事を、美しく、常に冷静な切れ者だとばかり思っていた。
確かにそういう面もある。
しかし、多分これが素なのだろうが、処女の様に頬を染める様は、こんなに、こんなにも可愛らしのだ。
慣れてくると、エグい戦略を練っている凶悪な顔でさえ、可愛く見えてくる。
まぁ確かに殿下は血も涙も無い様な作戦を考えながらも、基本的に馬鹿みたいに人が良いのだが。
「はぁ…もう殿下の可愛さは犯罪級ですよ…。あーいい匂い」
「だから何を言ってるんだお前は!嗅ぐな!早く離れろ!」
私は渋々と腕を緩める。
殿下はスルリと擦り抜けて、私に背を向けた。
「私今日も頑張ったのに…」
私が明らさまにしょんぼりすると、殿下は少し動揺した顔をチラチラと覗かせる。
…だからそういうのが、襲いたくなる原因だっていう事に、気付いてないんだろうな、この人は…。
「…ジノ」
目で合図され、黙って直ぐに跪く。
頭の上で、腕が動く気配がした。
私が無言のままでいると、殿下は華奢な手で私の髪にそっと触れると、そのまま私の頭を優しく撫でた。
「…ジノ、今日の戦闘でも、よく戦ってくれた。ありがとう」
私が驚き、思わず僅かに視線を上げて殿下の表情を伺おうとすると、殿下は優美に笑い掛けた。
鼓動が大きくなる。
心が激しく揺さ振られる。
ルルーシュ殿下と逢う迄、こんな感情を抱いた事等、一度として無かった。
自分はいつも、自分のしたい様にやってきたし、覆すつもりも無かった。
それでもこの人の為になら、心も、身体も、全てくれてやると思う。
この御方に全てを捧げ、自分の為でなく、この御方の為に生きる事に喜びと憧れを感じようとは。
主たるべき人間とは、こういったお人なのだろう。
「お疲れ様です、ヴァインベルグ卿」
「おーお疲れお疲れ」
私は、生真面目に頭を下げてきたルルーシュ殿下の今回編成した軍の隊長に笑い掛け、肩をバシバシと叩いた。
隊長と言っても、私は特別待遇になっているので、名目上という事だ。
殿下は実力主義者だから、彼も私より幾つか歳上な位でとても若いし、隊は国籍も地位もバラバラな人員で構成されているが、戦闘技術は皆確かだ。
「ヴァインベルグ卿、今日も流石でした。…きっとルルーシュ殿下は貴方を専任騎士に選ぶおつもりでしょうね」
やけに寂し気な笑顔でそう告げられる。
「…専任騎士…」
皇族の特権の一つだ。
そう言えば殿下は非常に危険な立場に居ながら、まだ専任騎士を選出していない。
「貴方なら、私も…誰もが認めざるを得ません」
「……」
…この人も、ルルーシュ軍の人達も、殿下を知った人は皆、殿下の特別になりたいんだ。
…勿論私も。
専任騎士になれば、極論すると、例え帝国に背く事になっても、ルルーシュ殿下ただ一人に命を懸けて忠誠を誓う、殿下に最も信頼された人物になれる。
この上も無い『特別』だ。
「…お前、見込み以上に優秀だな…」
「ほぇ?」
褒められているとは思うのだが、殿下は至って難しい顔をしている。
殿下の執務室に遊びに行った時の事だった。
「お前…ラウンズに興味はあるか?」
「え……?」
ラウンズ…ナイト・オブ・ラウンズ。
皇帝直属の、帝国最強の騎士だ。
「いや、興味があるかと言うのは間違っているか。お前、志願したければ、推してやってもいいぞ?」
「っ………」
余りに唐突な言葉に、何も返せない。
軍に所属した者にとって、皇族の次の階級に位置するラウンズは、究極の目標であり、憧れだ。
「実力は充分だし、私が推せば間違い無いだろう。お前を手放すのは惜しいが…折角実力を持っているんだ、お前が望むなら上がっていけばいいし、私にとっても…アイツの機嫌を取る様で癪ではあるが…悪い条件では無い。…まぁ考えておけ」
…そう、この人と出逢う迄は。
最高に名誉な事なのに、空しい。
私は…私が本当に心から忠誠を誓ってお仕えしたいのは…殿下ただ一人なのに…。
「あははっ、そんなゆっくり動いてると、女の子にも逃げられちゃうよ」
と、敵に止めの一撃を加えた時だった。
モニターに凄いスピードで接近してくる物が映った。
映像を拡大する。
「…白い…ナイトメア…?」
初めて見る機体だが、あれは恐らくブリタニア製のKMFだろう。
敵か味方か判断しかねて警戒していると、向こうから通信が入った。
『応戦する』
何だ何だ?
と、奴は瞬く間に敵陣を大破してしまった。
…人の獲物を…。
…しかしコイツは…相当出来る。
私と互角か、若しくはそれ以上…兎に角本気で戦り合えば、必ずどちらかが死ぬだろう。
僅かに血が騒ぐ。
私はトリスタンから降りると、同じ格納庫に入ったあの白いナイトメアのパイロットの顔を見てみようと思った。
興味本位だが、これから関わる事になる可能性も充分高い。
と、向こうからルルーシュ殿下が歩いて来る。
当り前ではあるが、殿下がわざわざKMF格納庫迄来る事は滅多に無い。
でも、何時だって殿下に会いたくない時なんて無いし、ペットの犬扱いされてる気はしないでも無いが、仕事の後に褒めて貰うのは確かに好きで、思わぬ訪問に単純にも嬉しくなってしまった。
殿下が近くなるに連れて、普段に無く表情が弾んでいるのが伺える。
何か良い事でもあったのかな。
「殿下…っ」
しかし、そうやって嬉し気に呼び掛けた私になんか目もくれず、殿下はそのまま横を通り過ぎて行った。
まるで見えていないかの様に…と言うより、実際見えていなかったんだろう。
振り返ってその背中を目で追うと、殿下は、あの白いナイトメアの方へ一直線に進んでいる。
心が酷く冷たくなる。
…痛い…。
…そう言えば殿下は何時も私に、温かい気持ちや、熱い気持ちを抱かせてくれていた事に気付いた。
と、ナイトメアから出てきた例のパイロットは予想とは違って、ボサボサの…いや、くるくるか?何かふわふわした髪の毛をしていた。
背格好も、思ったよりずっと華奢だ。
「スザク…!」
最後はもう、抱き付かんばかりの勢いで、殿下はそのパイロットに駆け寄る。
そして殿下が嬉しそうに、お帰り、と言い終わらない内に、スザクと呼ばれたパイロットは殿下の足元に跪いた。
「殿下、只今帰還致しました…」
殿下は何故か硬直して、少し間が空いた。
「…あ…あぁ、……ご苦労だった…」
先程迄と一転して、殿下は後ろ姿だけで充分判断出来る程、深く沈んでいた。
泣き出しそうな背中だ…。
…あの男…。
…私なら殿下を泣かせたり等絶対しない。
…私なら…抱き締めてあげられるのに…。
しかし、当然、その場から一歩だって動く事等出来なかった。