MAGIT−U

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眠ってしまったアッバーサからそっと身を離し
ジャーファルは気配を消したまま寝台から離れた

そして鏡の前でクーフィーヤと衣服を整えてから部屋を後にする
白羊塔へ戻る途中でサーラを見つけアッバーサの側についているように命じた後
ジャーファルは途中で放置してきた執務へと戻った

気づけば日はだいぶ傾いており
淡い日の光が窓から差し込んでいる
そんな日の光を緑のクーフィーヤに浴びながら
ジャーファルは仕事のノルマをこなし
部下へと指示を出し
貿易商との商談を終え
普段と何も変わらぬ様子で仕事を勤め上げた

一つ違った事は
普段は終業の鐘がなっても仕事を続ける彼が
今日は終業の合図とともに席を立ち
持ち帰りの仕事を集め両手に持った後
どの文官よりも早く執務室を後にしたことであった

ジャーファルが持ち帰りの仕事を抱えながら真っ先に向かった場所はアッバーサの部屋である
急いで部屋へと入った彼はサーラにアッバーサの様子を聞いた後
室内にあるテーブルへと持ち帰りの仕事を広げ
時々眠るアッバーサの様子を見ながら仕事を続けたのだった

「ジャーファル様、お夕食は此方にお運びし致しましょうか?」

夕餉の時間を過ぎてもアッバーサは目を覚まさなかった
一度ジャーファルが体を揺すり呼びかけるが
アッバーサは身じろぎ一つせずに
まるで人形のように眠り続けている
そのためジャーファルもアッバーサが目を覚ますまでは、と思い部屋に来ていたためその場を離れることが出来ず
サーラに二人分の夕食を運んでもらい
アッバーサが目覚めたら一緒に夕食をとろうと考えた

そして月が高く昇った頃
ようやく固く閉じられていたアッバーサの瞳が開き
ランプの淡い色を髪に写しながら
アッバーサは寝台から上体を起こす

「よく眠っていましたね」

「……もう夜?」

「ええ、月が高く昇ってしまいました」

「そうなんだ…」

「お腹はすいていますか」

ジャーファルの顔を見上げながら
アッバーサは小さく首を振る
その非言語的な答えにジャーファルは悲しそうに目を細めた

「朝も昼も食べていないでしょう、何か口にしてください」

「…うん…分かった」

そしてアッバーサは寝台からゆっくりと立ち上がり
ジャーファルに支えられながらソファへと腰掛ける

テーブルの上には広げられた書簡や羽ペンインク瓶などが置かれていたが
それらをてきぱきと片付けながら
ジャーファルはお盆に乗せられていた食事を並べていった

「鯛のマリネなんてどうですか?さっぱりしていて胃にも優しいですよ」

「…ジャーファルは食べたの?」

「私も一緒に頂きます」

「もしかして起きるのを待っててくれた?」

「ええ、そんな感じです、さあさあ、とりあえず貴女は何か口にいれなさい」

保護者のような口調でジャーファルはアッバーサの皿へと食事を取り分けていく

マリネやらサラダやらフルーツやら
あっさりとした食事を盛り付けられた皿を見つめながら
アッバーサはフォークを手にし
それらをつつく

それを横目で見ながら
ジャーファルはパンを千切り口へと運ぶ

しかし、食欲の無いアッバーサは果物を一口食べると
そのままフォークをテーブルの上へと置いてしまった

「口に合いませんか?」

その様子を見ていたジャーファルが心配そうに問いかける

「味が…しない」

「じゃあ、このスパイスの効いた料理はどうです?」

そして差し出された蒸し鶏にスパイスの効いたたれがかかっている料理を一口食べるが
それに対しても何か味がするとは思えず
アッバーサは小さく首を振り
フォークを置いてしまった

「味覚が…おかしいのですか?」

「そうかもしれない…何を食べても味がよくわからない」

「ですが、何か食べないと衰弱してしまいます」

「うん…分かってる」

小さくため息を付いた後
アッバーサはバスケットに入っているパンへと手を伸ばし
それを小さく千切り口へと運ぶ

ゆっくり咀嚼し嚥下するが
味の無いものを食べるというのはこんなにも苦痛を伴うのかと
アッバーサはため息混じりに夕食をとった

「さすがに味覚がなくなるのは異常です…侍医に詳しく診て貰ったほうが」

ジャーファルは不安げに言葉を紡ぐが
アッバーサは小さく首を振り
両手を水を救うように合わせジャーファルの目の前へと掲げる

「…私のルフ……おかしくない?」

しかし魔法が使えないジャーファルは
アッバーサのルフを目視することが出来ず
辛そうに目を細め言葉を紡いだ

「すみません…私にはルフが認識できない…」

そしてアッバーサの両手をそっと自らの両手で包み込む

「ルフがおかしいのですか?」

「どんどん消えていく気がして」

「貴女のルフがですか?」

「私じゃなくて…私を取り巻くルフ達が…」

「ならすぐにヤムライハを」

ジャーファルが慌てて立ち上がろうとすれば
アッバーサはジャーファルの服の裾を掴み
その動きを静止させた

「行かないで」

「…アッバーサ」

「一人にしないで」

「だったらサーラを呼んで」

「ジャーファル…一緒に居て」

そしてアッバーサはポロポロと涙をこぼしながら
言葉を続ける

「恐いの…何だかよくわからないけど…すごく恐い」

「アッバーサ…」

「段々と…私が私でなくなっていくような気がして…恐くて恐くてたまらないの」

その言葉にジャーファルは身を屈め
そっとアッバーサの体を抱きしめた

「魔法が段々と使えなくなったり…味覚がなくなったり…それにずっと眠たいし体も重い…こんなの…絶対おかしいよね」

アッバーサを抱きしめる腕に力を込めながら
ジャーファルは右手をアッバーサの頭に沿え
幼子をあやす様に優しく髪を撫でる

「そんな事を言わないで下さい」

「…でも…おかしいのよ」

そしてアッバーサはジャーファルの肩越しに宙を見つめながら
紅い瞳に涙を溜め力なく言葉を紡いでいく

「私はどうすればいいの?」

「大丈夫です、貴女は私とシンが必ず守ります」

「でも私が私でなくなったら、きっと二人に私は守りきれない」

どうして…何故?

そう何度も繰り返すアッバーサを
ジャーファルはただ抱きしめる事しか出来ないでいた

「きっと…これは罰なのよ」

「それは違うと言っているでしょ」

「いいえ、罰に決まっているわ…だって、私はここに在るべき存在じゃないのよ」

嫌だ
ここに居たい
私のままで在りたい

そう泣き叫けびながらアッバーサはジャーファルの服をギュッと握った

「アッバーサ…一緒にシンの元へ行きましょう…そして全てを話してください」

「でも、話したところで何も解決しない…」

「いいえ…シンならば、きっと貴女を救ってくれる」

だから一緒に行きましょう
そう優しく微笑むジャーファルに促されるまま
アッバーサはシンドバッドの部屋へと向かうのだった



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