MAGI×

□文官の皆さんは、深部静脈血栓症に注意すべし!!
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シンドバッド王が難民を連れて帰ってきた
診察にあたったが、栄養状態はまずまず良好、特に感染症の兆候も無く、難民達は国が用意した簡易宿泊施設にて住民手続きの待機を行っている

そんなシンドバッド王の善意ある行動の為に、政務室は修羅場らしい
難民の居住区確保や、予算の組み治し
そんな様々な仕事のストレスにやられ、先ほど若い財務担当の文官が一人倒れて医務室に収容された
それは明らかなストレスと過労
まあ暫く休養すれば直るだろうというレベルだ

そんな過労者を出した政務室が心配になり見回りに向かえば、それはもう地獄絵図のようになっていた
長時間にわたって椅子に座り延々と事務作業をこなす文官達
勿論ジャーファルさんも鬼気迫った表情で書簡と向き合っている
そんな文官達の凄いところは下半身は数ミリたりとも動かしていないのだが、羽ペンを持つ利き手は残像が残るほど高速で動いているのである
流石はデスクワークのプロだ…
ちょろちょろと動き回っていないと落ち着かない医務官の私には無理な仕事だと思う

しかし、そんな長時間にわたって座りっぱなしだと…

「血栓が出来そう…」

政務室の扉をそっとあけ、邪魔にならない程度に彼らの観察を行いつつボソリと呟いた

「ほう…“けっせん”とは一体なんの事だ?」

そんな私の言葉に頭上から返答があったため
そちらに視線を向けると
其処には、私と同じく扉の隙間より政務室の様子を伺うシンドバッド王の姿があった

「というか王よ…またサボりですか?」
「何を言うんだ、俺は自分の仕事は終わらせてきたぞ」
「ええ!!本当ですか!?」
「何なんだ、その疑いの眼差しは?」

いやいや、普段のサボり癖を見ていると
この王様の発言は簡単に信じられない
しかし、王は今回ばかりはジャーファルが死にそうになっていたので、仕事のノルマはこなして来たと言う

「本当に、ジャーファルさんにあまり心労を掛けないで下さい」
「今回はちゃんとノルマをこなしたではないか」
「今回だけでなく、次回もそのまた次もちゃんとノルマはこなして下さい」
「そんなカーヤも、こんな場所で覗きとは…さてはサボりか!?」

何て事を言うんだ!!
私はサボりなどではなく、れっきとした見回りだ

「違いますよ、先ほど財務担当の若手文官が倒れたので、政務室がどれほどの修羅場で今後何人くらいの犠牲者が出そうなのか様子を伺いに来たんです」

今現在、政務室は修羅場である
このままいけば…過労で数人ほど使いモノにならなくないり
最悪の場合深部静脈血栓症により数人の死者が出るかもしれない

「この修羅場…今まで死者が出なかったことが奇跡です」
「過労でか?」
「過労もですけど、今の現状を見る限りでは、深部静脈血栓症による肺塞栓や脳梗塞で死者がでる可能性が高いです」
「深部静脈血栓症!?」

初めて聞く言葉だ…と呟きながら
シンドバッド王は私の顔を興味津々といった表情で見つめた
確かに、この国…というか世界では静脈に血栓が出来るという原理が解明されていないのかもしれない

「文官のように長時間のデスクワークで下肢を全く動かさないと、下肢の血流が悪くなって血管内に小さな血の塊が出来るんです、それに加えて、ここの文官達は食事もまともに取らないので、体に水分が足らず血液はドロドロとなり更に血の塊が出来やすい状況に陥ります」

要約すると
座った姿勢でいると重力の影響で下肢から心臓に血液が戻りにくくなる、それに加えて下肢を動かせない状況に陥ると更に血液の戻りが悪くなり、下肢に血液が溜まってしまうのだ

「で、下肢に血の塊…所謂“血栓”が出来た場合、血栓より下側で皮膚色の変化や、痺れ、血液が流れにくくなる事により浮腫みが生じます」
「なら、分かりやすくて対処がしやすいではないか」
「ですが、下肢の血管を閉塞させるほど大きな血栓で無い場合、無症状の事も多いのです」

そして深部静脈血栓症の場合
恐いのは下肢での血流途絶ではなく
その血栓が血流にドンブラコッコと乗り、心臓に返ってきてからが恐怖なのだ

「率直に最悪のシナリオを申しますと…下肢で出来た血栓が詰まらずに下大静脈より心臓に戻って来ました、因みに心臓は上下大静脈より静脈血が返ってくる場所を右房といい、血液は右房から右室に運ばれ、次に肺動脈を通過し肺の中へと送られます」
「人体の構造はさっぱり分からないが、カーヤが博識だというのは良く分かったぞ」
「ありがとうございます、ですがコメントはいりませんので話を聞いて下さい…厄介なのはこの血栓が何処の血管にも詰まらずに肺へ送られた場合、肺の細くなっている血管で詰まってしまい、肺への血流が途絶する事で肺が壊死してしまう事なんです」
「肺が…壊死?何故だ?たかが小さな血の塊が詰まった程度だろう?」
「小さな塊でも、肺の血管は一本の大きな血管がいくつにも枝分かれしているんです、だからその枝のわりと太い部分に詰まってしまったら、そこから先はもうアウトだと思ってください」

現代では肺塞栓から肺梗塞(血栓にて肺が壊死した状態)となっても、抗凝固剤での血栓溶解や外科的治療にて何とか救命できるのだが
この世界ではまず無理だろう

「広範囲の肺梗塞を起こせば最後、肺が壊死したわけですから呼吸が出来なくなりますし、肺から心臓に血液が戻れなくなりますので、ショック状態となり、死にます」
「君はさらっと恐いこというなぁ」
「冗談ではありませんよ?そしてもう一つ最悪のパターンがありまして…小さな血栓は肺でも詰まることなくうまーく血流に乗り左房へ入り左室へ入り、大動脈から脳へ向かう血流に乗りました」
「なら良かったではないか、ひと安心」
「なわけ無いですよ!!そんな小さな血栓でも脳の血管は細いので、どこかに詰まってしまうとします…するとたちまち脳が血流不足に陥り壊死を起こします、これ即ち脳梗塞!!」

脳梗塞となっても、この世界ではきっと救命など出来ないだろう
まず挿管が出来ない時点で、もうアウトだ

「脳梗塞にて脳がダメージを受けると、脳が浮腫み生命維持を司る部位が圧迫されて呼吸が止まります…頭蓋内圧亢進による脳ヘルニアって言うんですけどかなり深刻な状態です」
「君の話しでどれほど深刻化はよく理解できたよ」
「因みに、私も頭蓋内圧亢進による脳ヘルニアで死にました」

私の場合は脳梗塞ではないが
頭部外傷によるダメージでも、脳が浮腫み放っておけば頭蓋内圧亢進による脳ヘルニアで簡単にあの世いきだ

「いやいや、死んだって…この通りカーヤは元気にしているではないか!?」
「まぁ、この世界の前の話しですけどね…」

とボソリ言葉を紡ぎ
通りすがりの侍女さんを呼びとめ、文官達に水を配るように告げた

兎に角この医療水準が江戸時代以下の世界で出来る事は
血管内脱水を防ぐこと…即ち適度な水分補給だ

そして…

「皆さん!!急がしいとは思いますが死にたくなかったら私のいう事を聞いて下さい」

扉をバーンと明け、政務室へと入室する
そんな私の登場に修羅場の空気が一瞬緩んだ

「カーヤさん…申し訳ないのですが、見ての通り文官達は修羅場でして」

申し訳なさろうに言葉を紡ぐジャーファルさんだったが軽くスルーし言葉を返す

「修羅場だろうと思いますが、このままじゃ全員、深部静脈血栓が肺に飛んで呼吸困難と心原性ショックであの世行きです…呼吸困難…物凄く苦しいですよ?嫌ですよね?」

と、若い文官に強制的に話を振れば
彼は表情を強張らせながら力図良く頷いた

「でも今のままでは、貴方…肺梗塞で壮絶な死を遂げます」

ズビシ!!と言い切れば
彼は恐怖のあまり椅子から転げ落ちる

「ですが私のいう事を今すぐ聞いてくだされば、皆さん助かります」
「ですが我々は修羅場でして、医務官である貴方の命には従うべきだとは思うのですが…」
「ジャーファルさんも、呼吸困難は嫌ですよね?もしも血栓が脳に飛べば、意識は戻らずあの世行きですよ?困りますよね?」
「…えっ……ええ…とても」
「じゃあ、今すぐ椅子から立ち上がり足踏みをしましょう、出来れば鐘が鳴る事に行ってください…っていうか医務官命令です、行いなさい、でないと死にます」

その後、簡潔に
深部静脈血栓症による最悪のシナリオを説明し
家族が居るのに突然死は困るでしょう?と既婚者に訴えかけ
青春も謳歌していないのに死にたくはないでしょう?と若手の文官に訴えかけ
ジャーファルさんが死んだら、誰が王の面倒を見るんですかと訴えかければ
全員自ずと深部静脈血栓予防に努めてくれるようになったのだった

とりあえず、これで文官達の死亡率はやや低下したと思う
この世界の医療水準がもう少し高ければ
少しくらいの血栓くらい許してやろうと思ったが
今の現状をみると少しの血栓も許せないレベルである

今後はアスピリンを応用しバイアスピリンを合成後、血栓リスクの高そうな喫煙者や動脈硬化を起こしていそうな人に使用する必要がありそうだ





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