Novel

□Missing existence
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 −−私の脚は動かない。
 母いわく生れつきなのだそうです。








 ガタガタと揺れる馬車の中、柔らかい白金の髪を一つに束ねた少女が瞳を伏せた。
 どんなに力んでも、叩いても、揺すってみても、どうしても駄目なのだ。何故だろうか。
 彼女がどんな医者に問いかけても、誰も明確な答えはくれなかった。それはそうだ。彼女の脚が動かない原因は不明なのだから。
 これから先、様々に発展していく文化の中で、特に医療に特化した技術師や医療。治す方法とまではいかなくても、原因を判明させるくらいはできる機械でもできないかと、少女はいつも未来に願っている。。
(そんな事考えているけれど、治す方法なんてあるのかしらね)
 多分ない。
 そんな下らない自問自答を繰り返していた少女に棘のある声音で馬車を降りるよう言う彼女の叔母。
(もう、相変わらず意地悪な方ね)
 少女は知らず知らずの内に溜息を吐いていた。
「お、奥方様、お嬢様は脚が……」
「まあ、騎士の名家たるコーラルタル家の一人娘が、脚が不自由だからというだけで使用人に手をひかれなければ降りられないのかしら?」
 彼女はそんな叔母の厭味など気にした風もなく、いつも身辺警護にあたってくれている青年、イスラの手を借りて馬車を降りた。正確にはお姫様だっこでなのだが。
 車椅子に腰を落ち着けて、少女はイスラに感謝の言葉を述べ、そのまま会話に持ち込もうとした。……のだが。
「アンジェリカ、聞いていまして?」
 一向に返事を返そうとしない少女に叔母は痺れを切らしたのか、苛立ちを隠そうともせずに言ってきた。
(はあ、折角無視を決め込もうとしてたのに)
 そんなに構って欲しいのかしらと少女は吐きそうになった溜息を噛み殺し、叔母に向き直る。
「ええ、叔母様。もちろん聞いておりますわ。叔母様のそのかすれた耳障りなお声ですとか、たまに小さく舌打ちをされている音まで聞いていましてよ」
 偉いでしょう?
 そう笑顔で問えば、叔母は顔を真っ赤にして鼻息荒く屋敷の方へ歩いて行ってしまった。
 いい気味だとくすくす笑いをこぼしていると、少女の背後から脱力したような溜息とじゃり、という土のこすれる音。
「アンジェ、奥方様に喧嘩を売らないでくれよ……。後でどやされるのは君の身辺警護兼お目付け役である僕なんだからさぁ」
「あら、26歳の大の大人が何をおっしゃいますの。私なんてあなたより歳が九つも下ですのに」
「話がずれているよ」
「そうかしら?」
 もう、とまた溜息を吐いた彼に、極力仲良く接してみます、と彼女が苦笑交じりに言ったのだが、簡単に冗談であることが見抜かれてしまった。
 さて、このあたりで少女の自己紹介をしようか。彼女の名前はアンジェリカ・コーラルタル。この間17歳になったばかりだ。
 コーラルタル家は代々帝国騎士団にて名誉ある騎士団長を跡継ぎが継ぐのだが、悲しいかなアンジェリカは動くことがかなわない。そのせいか、家督も継げない役立たずだの粗大ごみだのと散々陰口を叩かれていた。
 ……いや、まあ。そのお陰で叔母とあんな醜い言い争いをすることができるだけの精神力を手に入れたわけなのだが。ああ、ここで一つ忠告しておこう。それは決して彼女が自ら欲したわけではないのだと言うことを。諸君らも彼女と同じような状況になればわかるはずだ。
(それにしても叔母様、いつになくご機嫌が芳しくありませんでしたわね。旦那様と喧嘩でもされたのでしょうか)
「アンジェ?」
ああ、それともう一人。アンジェリカの傍にいる赤銅色の髪と瞳の青年はイスラ。先ほども言っていたように彼はアンジェリカの身辺警護兼お目付け役だ。幼い頃から一緒に居るせいか、イスラはアンジェリカと二人の時は敬語を使わない。まるで兄がいるみたいで嬉しいなんて彼女が思っていることは本人には秘密だ。
(相も変わらず夫婦仲は最悪なのでしょうか。だとしたらいい気味……ああ、いえ。そうではなくて。コーラルタル家に連なる者として周囲に威厳を保てるようにしていただかないと−−)
「アンジェってば!」
「きゃあっ」
 思考の海に沈んでいたアンジェリカの視界を突然埋め尽くしたくすんだ赤色、ではなくて赤銅色。
(ああ、もう!)
「いきなりお顔を近づけてこないで下さいませ!イスラ!」
 アンジェリカだって年頃の女の子なのだ。異性の顔がが目の前に迫っていたら頬を叩いてしまうのも仕方がないだろう。
(ドキドキとはまた違うのですけれど、イスラの端正なお顔が目の前にあるのはその、緊張するといいますか。……ああ、もう!この話はなしです!)
「ごめんごめん。ところでアンジェ、奥様が付いてきてほしいところがあるそうなのだけれど」
「お母様が?」
「うん。今日じゃなくちゃいけないらしいんだ」
 そんな性急にどうしたのか。彼女の母は比較的のんびり屋であるのだが。らしくないと首を傾げるアンジェリカ。
 まあ、彼女としては断る理由も特になし、否、何より、優しくて慎ましやか、アンジェリカの憧れの対象である母の滅多にないお誘いだ。当然、彼女はついていくことにした。
「じゃあ、また馬車のんないとだな」
「よろしくお願いします、イスラ」
「りょーかい!おじょーさまっと」



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