sleep.07

□悲鳴
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吐くような感覚に口元を押さえようとも手に付くのは切れた口の端から滲み出る赤のみだった。
じわりじわりと後を追うように痛みを増し続ける腹部を擦る。
素手ならばまだしも相手が殴り付けるのに使用した道具が金属バットだったというのもいけない。それにこちらが一人だったのに対して向こうは四人。

「ちくしょう…!」

前に出したはずの足に地を踏む感覚すら感じないのでこれはおかしい。
支えの利かなくなった身体は大きく揺れを見せた後、ドサリと派手に音を立てて倒れ込む。
不運にもそこはごみ捨て場だったようで、まるでゴミのような自身にはお似合いだな、と自嘲を漏らす。

もうどうにだってなれば良い。










「あれ?」

「……、」

「やっぱりじゅう君だ」

「…よぉ」

月明かりとは逆光になっていたので顔は解らない。解らないども耳障りが優しい声には覚えがあった。
彼女だ。

片手を上げて応えてみせると何をしているの、と呆れたような口調。
呑気な返事は要らないとばかり言われると覚悟していたのだが意外にも返されたのはヘラリとした笑みだったので、少し不意打たれたのはこちらの方だ。


「女の夜歩きは危険だぞ」

「男だって怪我するなら危険だと思うけどなぁ」

「うっせぇ」

「あはは」

酔っているのか、とも思ったが酒の匂いはしないし彼女にそういう趣向がないことくらいは知っているので考えを打ち消す。
第一まだ未成年だという事実を失念していた。煙草を吸う経験があった自分が言えたことではないが。
しかしながら兎に角、今夜の彼女は目の前にしゃがみ込んでは何やらニヤニヤと嬉しげに笑う。

「また喧嘩したんだ」

「まぁな」

「そこ、痛む?」

「いってぇな…!押すなよ!」

青く変色した肘を押されて思わず目を閉じる。
ふふふ、くすぐるような笑い声に今まで抑えてきた何かが外れて唐突に、前触れもなく彼女の唇を奪ってしまった。
それもこれも余裕がない状態に油を注した彼女が悪い。
丸く電灯に光る瞳に泣きそうな自分が映った。不安を見せつつも宥めるように背を擦る彼女に胸が絞まる。
頬を包み込んだ指がだんだんと熱を帯びてゆくのは。恐らく恋だとかそんなキレイなものが理由ではない。
更にそれを上回るほどの。つまり透明になりきれない濁りきった愛だ。

「じゅ、うくん」

「……悪い」

「何が」

「もう一度で良いからキス、させてくれ」

だからと言って、ここまで来て退く気も止める気もなかった。男故に。
今度は音を立てて耳元に同じものを触れさせる。
ビクリと跳ね上がる肩を抱き寄せてやれば先ほど押された青アザが痛んだ。
厭がられても嫌われても何も言えないな、とも思う。どうにも自己制御の機能を果たすはずの理性は自身から跡形もなく消えてしまっているらしい。
それでもごめんなと謝罪の言葉が時折口から零れ出すのは彼女にだけは見放されたくないという一心の所為で。

「弱くはないよ」

「は?」

「だって、じゅう君は強いもの。みんな解ってるよ」

「なに、を…」

どうやら全てを見透かしていたようだ。
そうして優しい手付きで頬を包み返すのだって恐らくは同情でしかない。
しかし捨てきれない期待にすがり続けてしまうのだ。どうしても。
触れた指から熱が移ってじんわりと体内にまで広がってゆく。
ずっしりとした重みが襲う。
圧力に堪えられそうにないので、ただ一つの感覚を頼りに後の全てを彼女の腕に委ねて気を失うことにした。
弱々しく燃え盛る青い炎と自分自身を重ねては、何ともいえず赤光に燃える思いだ。


(090615)
燃え尽きるのはまだ先のこと。


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