sleep.07

□重力
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むかしむかしの話だが、ニュートンという名前からして新しい物事を発見できそうな英国出身の男がいた。
男は引力という新しい理論を世に確立させ、たいそう世間から脚光を当てられたらしい。
それも林檎が落ちる瞬間を見てという。なんとも馬鹿馬鹿しいきっかけで。

天才と凡人の違いを示すとするならばそのような観点の違いにそれは顕著に表れるのかもしれない。
が、しかしながら悲しいことに凡人の私には林檎が地面に落ちたことくらいで引力のしくみなんて難しげな理論を理解できるはずもないのだ。
何故ならこの前の物理のテストは見るも無惨な赤点だった。


「あ、甘い」

「そりゃあ良かった」

シャクシャク。小気味良い音が口内に響く。
祖母の住む田舎から送られて来たという不気味なまでに(と、言うのは失礼かもしれないが)真っ赤な林檎。
口に頬張れば広がる甘酸っぱさが隣の彼と作用してきゅん、と胸を締め付ける。
毎年のことながらそれは彼から私の手に渡り、その日のうちに早々と体内に吸収され、年々強まる淡い想いをもろともに胸を締めてゆくわけだが。
今年のはまぁ何とも一段と、

「甘い甘い」

果糖がたっぷり詰まっているそれにつまようじをぷすりと刺す。
じわりと滲む蜜がようじを伝って指へと流れるように滴ってゆくので、おかげでもれなくベタベタとやたらしつこい不快感をもたらしてしまう。

「筧くんやい」

「なんだ」

「はい、」

「は?」

予想もせず口元に蜜の塊を差し出された所為で、驚きに少しの照れを足した表情を見せた彼。
見事なまでに解りやすく数秒後には狼狽えを示す。

「ほら、早く」

とうとう肘まで蜜が流れ下りて来てしまった。濡れた袖はやはりベタベタと。しつこい。
いくら待てども口を開こうとはしないので、ならば要らないのか、と手を引っ込めようにも反射的に手首を掴まれてしまっては逃げられもしない。

「ひ、とりで食える」

「いやいやだったらこの手は何なのよー」

「それ…は、……あれ?」

掴んだことにすら自覚がないとは。
随分と重度に錯乱のご様子ではあるが残念ながら私にはそれらが照れ隠しから成る症状であることくらいお見通しなのだ。
お互いに隠し事や誤魔化しなど出来やしないことなど解っているはずであろうに。一体何年幼なじみをしてきたと思っている。

「昔はよくやったのにねー」

「俺が、お前にな」

頑なに拒み続ける理由は、果たして受け身とは言い難い性格故のものなのか。
しかし受け身でないと言えども苦労人であるから彼はノーという明確な断定をすることは出来ない。

良くて優しい好青年。悪くて損な役回り。
狡い私はそれを解っているのでわざとからかい困らせて遊ぶのだ。
そうしていつしかその関係がこの微妙な間柄の基盤となった。
一方通行な気持ちだけが行って帰ってを繰り返す。今も。


「そんなことより、彼女にも早く持って行ってあげなよー」

「あぁ、」

しゃくり、と噛んだそれはこんなにも甘いのに。



重力で落ちた林檎がたった今、真っ二つに割れました。
(090623)


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