封神

□菩提樹
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大きな葉を繁らせて風に揺れる木の下、碁盤に白と黒の精緻な戦いが刻まれている。

お互い、にっこり穏やかに茶など飲んでいるフリをしているが、相手の一挙一動見逃すまいと必死なのだ、たぶん。

白と黒の陣地はほぼ互角。

これならギリギリ勝てるかも知れないと、太乙は踏んでいたのだが。

目の前の普賢が、天使の様な可愛らしい笑みを浮かべて、その白い碁石を一番えげつない処へ投下した。

゛ギャアァー!!何て処にッ!!゛

堅牢に結ばれていた黒の砦の、そのわずかな隙に白い碁石が牙を向く。

内心で盛大な悲鳴を挙げながら、太乙は余裕綽々を装って長い足を組み換える。

勿論、額からは冷や汗が滴っているが。

「フフフッ、やるねぇ…普賢。君、別の漫画で棋士を目指した方が良いんじゃないかい?君なら神の一手を目指せるよ」

言葉で揺さぶりを掛けつつ、太乙は白の置石の隙を血眼で探すが、中々見つからない。

そんな太乙を眺めながら、普賢がのほほんと告げる。

「いいえ。僕は望ちゃんよりは強くないですし…それに、太乙師兄がお相手してくださるのが、一番苛めが…いえ、楽しいですから」

「太公望はイカサマばっかりでしょー?……うん?アレ、今、苛めって…?」

「あ、ほら、太乙師兄の番ですよ?降参ですかー?」

「いやいや、タンマ!!もうすぐ道は拓けるからッ!!」

肩口で切り揃えた黒髪を乱して碁盤に張り付く太乙に、普賢は口許を抑えた。

師兄に対して失礼だが、堪えようとしても笑いが止まらない。

「くすくすっ、必死ですね」

「当たり前だよっ、これに勝ったら太極符印を見せてくれるんだろう!?」

普賢が両手で掲げた球状の宝貝に身を乗り出す。

「約束ですからね」

「噂では因数解析から核融合まで出来るって言うじゃない?凄いなぁ、元始天尊様の手作りなんて初めてなんだよ」

研究者としての血が騒ぐのだろう。瞳を輝かせて宝貝を見つめる太乙に、普賢は不思議な笑みを浮かべた。

「……どうして、僕がこんな凄い宝貝を頂けたか、ご存知ですか?」

「えぇー?やっぱり、秘蔵っ子だからでしょ?太公望にも随分、目をかけているみたいだけど、十二仙入りしたのは君の方だしね」

太乙が肩肘を机に付きながら指摘すると、何故か普賢は菫色の瞳を寂しげに伏せて、小柄な身体を震わせた。

か弱そうな容姿が一層引き立ち、太乙の庇護欲を誘う。

「違うんです。実は、僕………元始天尊様の隠し子なんです」

思わず手を差しのべようとした、太乙の思考が一瞬停止し、瞬く間に嫌な想像が頭を駆け巡る。

「えっ?普賢が…?元始天尊様の…えっ、えっ、えぇーッ!!」

あまりの驚愕の真実に、盤面をひっくり返して倒れてしまう太乙。

草むらに倒れて転がるついでに、凛々しい眉を吊り上げて玉虚宮の方角に中指を立てる。

「あんのっ色ボケじじーぃッ!!」

「あ、嘘ですから」

「うそなんかいっ」

「……太乙師兄、意外に口がお悪いんですね」

「………君も、太公望と類友なイイ性格してるよね」

「ふふふ」

楽しそうな普賢に毒気を抜かれて身を起こす。勢いよく転がったせいで傷む腰を押さえながら、太乙は椅子へ座り直した。

「全く、大人をからかうんじゃないよー。こんなに若くてピチピチでも、ウン千歳のじぃさんなんだからね?ショックで心臓が止まっちゃったらどうしてくれるのさ〜」

一瞬とは言え、本気で信じてしまった太乙は、悪びれもしない後輩にややげんなりと頭を掻く。

「んで、何故元始天尊様が君に宝貝をくれたかって?」

「ええ。力も才能もない僕が、この宝貝のお陰で貴方とさえ対等になれる理由を」

普賢はこくりと頷き、ひっくり返って滅茶苦茶な碁盤の真ん中に黒い石を置いた。

「僕は、これなんです」

「これって、黒石?」

磨き抜かれた黒が静かに太乙を見つめ返していた。

「布石ですよ。封神計画のための」

さらりと出された言葉に太乙がハッと息を呑む。

「何で…君にはまだ知らせていないはず」

訝しげな太乙に、ピコピコと宝貝を弄った普賢が卓上に地球の立体映像を投射する。

回転していた映像が、ある一点を太乙の目の前に示して静止する。

「僕の太極符印は広範囲のサーチ能力も兼ね備えていますから…乾元山上空の巨大な陰は封神台ですね?」

飽くまで穏やかに、普賢が訊く。

静かだが有無を言わさぬ口調に、太乙は困って髪を掻き上げた。

チラリと普賢の様子を見れば、落ち着いたーーーと言うより、底を見せない瞳が合った。

「敵わないなぁ…誰にも教えちゃダメだよ?」

わざと軽々しく言ってみれば、全てを承知した様な頷きが返ってくる。

「言いませんよ…例え望ちゃんにも」

「フッ…そこまで分かっているのか…反対しないのかい?…呂望は、これから苦しい戦いに身を投じることになるよ」

懐かしむように太公望を昔の名で呼び、憂いを帯びた瞳で見つめる太乙。

しかし、意外にも笑って普賢は言う。

「望ちゃんは、利用されていると分かっていても、苦しんでいる人を助けるためなら迷わず手を差しのべます…例えその身を投げ出してでも。

そんな望ちゃんだからすきになったんです」

屈託なく告げられるその"すき"は、本人が言うよりきっと業が深い。

「君は…それでいいの?」

「僕は平和主義ではあるけれど、望ちゃんのように、全てを救うなんて出来ませんから…この手にあるたった1つを守るために、仙人になったんです」

まるで好きな茶菓子の相談をするように、にこりとわらう。

だが、その言葉は冷く人の心を暴く。

「望ちゃんは悪い仙道を罰する力を手に入れるため崑崙へやって来ました。しかし、此処の、力を持っているにも関わらず、人の世へ干渉しようとしない、仙人の無関心さ、無頓着さにも心底歯痒い思いをしているはずです。
遣るときは、きっと独りで全てを成そうとする…自分の身など省みず」

菫色の穏やかな瞳が、ゆっくりと色を深く染め、鋭くなっていく。

「そうして、全てが終われば、仙人界と人間界を完全に分離し、自分は野に下って土塊と成ることを夢見てる…この計画がそんな甘いはずもないのに」

「…普賢」

「だから、僕が必要なんです。…望ちゃんと親しく、それなりの地位にいて、封神計画時には十二仙との架け橋と成りうる存在。

彼をこちら側へ引き留めて置くための布石が」

「普賢っ!!」

ぱしんっ、と小気味良い音がして、普賢の頬が赤くなる。

見れば、太乙が黒い瞳に涙を浮かべて繊手を振り切っている。

「普賢っ!!私たちは君をそんな計画のために育てたんじゃないッ!!自分や親友のことを道具みたいに言っちゃダメだ」

張られた頬が、じんと熱くなる。

叩かれたのに、温かい情が伝わってくる。

まだ普賢と太公望が崑崙へ入団したての頃、新人の教育係をかってでてくれたのは太乙と道徳だったと思い出す。

まるで、実の母親に怒られているみたいだと、初めて他人に叩かれた普賢は嬉しそうにわらう。

「ごめんなさい…」

「……なんでわらってるのさ。反省してないね?」

怒りの矛先を喪った太乙は疑いの眼差しを向ける。

思えば、この会話すら彼の策略の1つだったのかもしれない。

普賢は一度として無駄な手を打たなかった。

愚かな狂信にも似た、
厳かな殉教者の様に、

ただ直向きな愛情を太公望に注ぐ。

「いいえ…、やっぱり貴方は望ちゃんに必要な人なんだ。いつか、望ちゃんもこうやって叩いてあげて下さいね。

僕は望ちゃんの指針となって…


逝くでしょうから」
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