その他
□月の継承
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「貴方は不思議な人ね。このところ戦いばかりで心休まるときなど無かったのに、貴方といると心が落ち着いてくる。貴方を見ていると『帝国を引っくり返す』なんて大それた夢が現実になりそうな気がしてくる。会ったばかりなのに、何故かしら?」
縁の柵に寄りかかってこちらを見たオデッサさんが笑う。月の光を浴びた薄茶の髪が夜風にふわりとゆれる。流れた髪の合間から紅色の耳飾(イヤリング)が顔を覗かせていた。
綺麗な人だ。今まであった誰よりも輝いていて、思わず人が惹きつけられるような『何か』を秘めた瞳を持っている。僕もこの人の『何か』に惹かれてここにいるのだろう。
こんな美しく華奢(きゃしゃ)な女性が、赤月帝国に抵抗している反政府集団『解放軍』のリーダーだなんて。実際軍を指揮している彼女の姿を見てさえ、僕には信じられなかった。
オデッサさんは、ボーっと彼女に見惚れている僕を見て、首をかしげている。そんな僅かな仕草にさえ、貴族の洗練された気配が漂う。血や埃に塗れた戦衣を忘れさせる優雅さ。
彼女は帝国で代々軍師を務めている名門シルバーバーク家の娘だ。本来なら深窓の令嬢としてドレスを纏い幸せで安らかな生活を送られているはずの人。気性の荒い傭兵達を纏め上げ、帝国軍と切り結ぶような荒事は、彼女の人生に生涯(しょうがい)無縁(むえん)の筈だった。
「何故解放軍を創ったか、ですって?そうね・・・貴方になら」
彼女は夜空にかかった満月を見上げた。本来ならばたくさんの星たちが輝いているはずだが、今は月の光が強すぎて周りの星は見えない。
「私にはね。婚約者(フィアンセ)がいたの」
「フリックさんとは、別に?」
僕が解放軍に連れてこられたとき、僕やグレミオたちを帝国軍の間諜(スパイ)だと疑い、突っかかってきた青いバンダナの青年を思い出す。
僕らを信用できないのはリーダーのオデッサさんを心配してのことだ。しかし、彼の彼女を見る目は明らかに恋人のものだった。
「フリックとは解放軍を創ってからのつきあいよ。あの時は悪かったわね。どうか彼を許してあげて。私に対して過保護なのよ」
「いいえ、彼が僕を疑うのは当然です。帝国を追われた身とはいえ、僕は帝国軍の兵士でしたから。・・・それで?」
僕は静かに話を促す。
彼に疑いの目を向けられたことなど、実際たいしたことではない。グレッグミンスターにいた頃もテオ将軍の息子というだけで、謂われない嫉妬と悪意の視線を向けられてきた。親友が来るまで、同世代の友さえいなかったあの頃に比べれば、可愛いものだとさえ思える。
僕の僅かな自嘲(じちょう)に気が付かず、オデッサさんは月に目を向けたまま話を続ける。
「私の婚約者は、優しくて正しい目を持っていた。親が決めた婚約だったけれど、私たちは全く気にしていなかったわ。けれど結婚式が近づいたあの日。彼は帝国軍に捕まった」
彼女は急に寒くなったかのように、己の両腕で自分の身体をかき抱いた。
「帝国に反抗した罪人を匿(かくま)ったとかで。もちろん冤罪(えんざい)よ、彼の屋敷、財産、領地を手に入れるためだけに愚かな帝国の役人が嘘をついて。彼はたいした罪状も無く、死刑になった」
何の疑いも無く帝国を信じてきた僕は衝撃を受ける。
「そんな・・・。そんな馬鹿げた・・・」
しかし、僕の親友を捕え、僕を追っているのも帝国だという事実に声が固まる。
「そうよね。私もそう思って、必死に彼の無実を証明しようとした。父や兄も有罪にならないように協力してくれた。けれど無理だった。役人がでっち上げた証拠も無い罪に、裁判官は役人に袖の下を貰って、調べた軍人も自分に利益が出るように偽証をして彼の罪を増やした。私たちに変えられるような隙は一つも無かった」
月が雲に隠されて、周囲が闇に染まる。彼女の表情が半分隠れる。
半分だけになった、感情の無い仮面。
「処刑の日。彼は一つ願いを叶えることを許された。彼は私との結婚を望んだ。私たちは永遠の愛を誓ったわ、死刑台の前で。さぞや滑稽(こっけい)だったでしょうね。でも、私たちは本気だった。結婚の宣誓をした時、私たちは剣をとり、純白の衣装が鮮血に染まるまで戦った」
雲が晴れ、彼女の顔が露になる。
それは悲しくなるほどやさしい笑みだった。
月の女神のように冷たく美しく、そして寂しい―
何故、人の身でこんな笑みを浮かべられるのだろう。
「そのひとは・・・・・?」
僕は言ってから唇を噛(か)んだ。
愚問(ぐもん)だ。その人が生きているのなら、今彼女がここにいるはずも無い。
「・・・・・死んだわ。戦いの最中に―私を守って。そして、私はあの人の血に染まった真っ赤な衣装のまま帝国軍の手から逃れ、解放軍を創った。もう二度と、あんな悲しい目に遭わないために。あんなことに遭う人をなくすために。腐りきった赤月帝国を倒し、平和で安全で幸せな・・・・国を創ろうと誓ったのよ」
僕はオデッサさんを見つめた。いつもは穏やかな榛色の目をしているのに、今は煉獄(れんごく)のような炎を宿していた。
たぶん、この目が彼女の本当の眼なのだ。繊細で穏やかで優しい眼と、全てを焼き尽くさないと消せない激情としなやかな強さを持つ炎のような眼。
全てを失った絶望とそれでも諦めない希望。
僕には無い、強さ、だった。僕が引かれたものは。
そう分かった瞬間、自分が彼女を好きだと自覚した。そして彼女の傍にいたいと思った。
だからだろう。
僕がはっきり答えを出したのは。
「オデッサさん」
「?なあに、ナギ君」
彼女が年上で、格好良く嫉妬深い恋人(フリック)がいることは承知の上だ。それでも彼女に手を貸すことを躊躇(ためら)わなかった。
彼女の理想の国を見てみたいと思えた。
一瞬、帝国の将軍である父や知り合いたちのことが頭を過ぎったが、そのときは未だ僕はその事実を完全に受け止めてはいなかった。
そして。
彼女の婚約者のような死を、帝国に囚われた自分の親友に迎えて欲しくなかった。
だから。
「正式に僕たちを、解放軍に加えてください」
一瞬、月よりも強い光が夜空に輝いた気がした。
僕は運命なんか信じない