突発連載

□罪人縋りし蜘蛛の糸
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『愛してる』

 その言葉が穢れてきたのはいつからだったろう。
 初めはただ、厄介な奴だと思った。好いた姉とは正反対の荒い気性、生意気で口が悪い。
 あいつだって俺のことを初めから敵愾視していた。
 互いに天敵だと思っていた。
 だが、不意に見せる幼い笑顔。小せぇ癖に気高い魂。悔しげに流す涙。
 気づかないうちに守らなければならないものに変化していく。
 あいつも、俺と過ごす年月と共に、少しずつ信頼と思慕を向けてくれた。
 けれど、道場を捨てる決心をしたあの日。

『あんたなんかいらねぇ!おれは、おれは絶対強くなる!!』

 眼が、離せなくなっていた。
 愛しいと思うより、ずっと心を焦がす衝動は―――恋だった。
 同時に理解する。
 望めば手に入る。この幼い少年の直向な心を利用すれば容易く。
 だが、手に入れれば、失う。今まで共に生きてきた同志であり共犯者であり愛する女の弟を。
 手放す覚悟を決めていた。
 あいつが本当に惚れた奴が現れたら、幸せになるように全てを擲っただろう。
 それなのに。

 『抱いてくだせぇ』

 明らかに艶を含んだ誘い。
 媚薬で壊れた理性は役に立たず、偽善や建前が完全に剥ぎ取られ、残酷に欲望を打ちたてようとした。
 僅かに残った愛情が、あの穢れた手を止めてくれたが。

 どうすればよかったのだろう。
 何もかもが間違っていた気がしてならない。
 いっそ、あの時抱いていたなら、これほどの焦燥に駆られずに済んだのか。

「うるおるぅああああああああああああああ!!!!」

 剣を抜き放って船内を駆ける。
 正面からやってくる敵に怯まず加速し、懐に入り込んで腹をぶっ刺す。そのまま倒れこみながら背後の剣線をかわし、後脚で顎を砕く。
 横目に鋼の輝きが映り、状態を捻ると発砲音。隊服を僅かに掠めて敵が倒れる。
 
「副長ッ!少しはご自愛なさりやがって下さいこの考えナシ!!」

 背後では、援護射撃を行なっている山崎の、忠告なのか暴言なのかわからない悲鳴が響く。
 目的の人物はまだ見つからない。

ゾクリ。

 頭上から射抜かれたような寒気を感じて、振り仰ぐ。
 紫の、魔物のような瞳が楽しげに笑んで、隣の小柄な体を押しやる。
 
「随分なご歓迎だなァ、土方。お探しのモンはこれか?」

「総悟ッ!!」

 呼びかけに応えるように、蜂蜜色の頭がこちらに向かってかけてくる。
 良かった、目立った外傷もなさそうだ。
 笑ったまま止めも斬りかかりもしない高杉に不安がよぎるが、腕の中に飛び込んできた総悟を抱き留めることを優先した。

 体当たりで飛び込んできた総悟。
 その確かな重みと、灼熱。

「そうご・・・?」

 その虚ろな緋色に、今俺の姿は映っただろうか。

 喉元に熱い何かが込み上げてきて、ゲボッと唇から滴り落ちた。

 ああ、何もかもが間違っていた気がしてならない。

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