*retsu-go*

□はじまる想い
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「アドルフ。エーリッヒを見なかったか?」

時間は少し遡り。
エーリッヒがミハエルの部屋へと向かっていた頃。
ミハエルの代わりにミーティングへと出席していたシュミットは、漸く戻ってきた自室に親友の姿がないのに首を捻り、廊下ですれ違ったチームメイトへと声をかけた。

「エーリッヒ…?」

呼び止められた少年も同じように首を傾げるが、ふと何かを思い出したように、あっと呟く。

「そういえば、食堂から出てくるのを見かけたな」
「食堂?」
「あぁ。多分、リーダーのトコに食事でも持ってったんじゃないか?さっき寮母のおばちゃんに聞いたんだけど、病院から戻ってきて、今は部屋で休んでるらしいし」

アドルフの答えにシュミットは一瞬口を閉ざした。
そうして眉を顰め、そうか…とだけ呟くとサッサと踵を返してしまう。
その後ろ姿を見送っていたアドルフは、だが友人の脚が今告げた部屋とは逆方向に向かっているのに気付き、その背中を呼び止めた。

「リーダーの部屋なら、アッチの階段を使った方が早いんじゃないか?」

その声に振り返ると、シュミットはフッと自嘲気味な笑みを浮かべる。

「病人の部屋に押しかけるほど、急いでいるわけでもないからな」

戻ってくるのを待つさ
言いながら手をヒラつかせると、今度こそ部屋の中へと入っていった。


パタン、と後ろ手にドアを閉めたシュミットは、その脚で窓際の机へと直行する。
そうしてバッグから数枚の書類を取り出すとペンを走らせ、紙面の空欄を埋めていく。
だが一枚、二枚と順調に片付けていた指が、最後の書類に辿り着いたところで不意に止まったかと思うと、シュミットの顔が苦虫を潰したような表情へと変わる。

「………今日中だと?」

軽く睨んだ視線の先には「提出日厳守」の文字が並んでいて、その隣には提出日だと思われる今日の日付まである。
他の書類が一週間近く日にちに余裕があるのに対し、何故かたった一枚だけが今日の、しかも午後3時となっているのである。
ミーティングが終わった時点ですでに1時を回っていた時計は、現在2時10分を指しており。
ふと脳裏を過ぎった、着任して間もない監督の顔にチッと舌打ちをすると、シュミットは書類へと再びペンを走らせた。

だが、すぐに片付くだろうと踏んだシュミットの思いも虚しく。

「〜〜〜ッ…去年のデータなど、すぐに用意できるか!!」

書類の文面に、積もりに積もったフラストレーションが一気に溢れ出し。
勢いよく立ち上がったシュミットの足元で、ガタンッと派手な音を立ててイスが倒れる。

「どうするんだ…」

さすがに項垂れ、大きな溜息を吐いたシュミットは、ふと隣へと視線を向ける。

……そういえば。

思わずそう零したシュミットの脳裏に、数日前の記憶が蘇る。
それは昨年までのデータを個別に、さらにはそのレーサーが弱点を克服するにはどのような練習メニューが必要かをリストアップしたのだと告げていた親友の姿で。
シュミットは、天の助けとはまさにこの事だな、と先程までの苦い顔もどこへやら、いつもの強気な表情でそう呟いた。

けれど現状を乗り切る術は見つけたものの、重大な事実に気付き、途端に表情を曇らせてしまう。
というのも、データを纏めたとは聞いたが、それがどのファイルに入っているかまでは知らないのである。

チラリと振り返ったドアは、開く気配すらない。
そろそろ帰ってきても良さそうなものを…と零すと、シュミットは一寸躊躇った後、ドアへと脚を向かわせた。


***


「――……、…」

ノックをしようと伸ばした手が、中から聞こえた声に思わず止まる。
行儀が悪いとは思いつつも、そっと耳を澄ませば、微かにだがミハエルとエーリッヒの声が聞こえてくる。
会話の内容は判らなくとも、すれ違いにならず良かったと安堵しながら、一度は躊躇したドアをノックする。

―――だがノブを回し、目に飛び込んできた光景に、シュミットはギクリと身体を強張らせた。

そこにあったのは、ベッドに横たわった少年に覆い被さっている親友の姿で。
エーリッヒの背が邪魔しているその向こう側で、起こっているであろう行為を想像し、かあぁっと顔が熱くなるのを感じた。
かと思えば、今度は激しく沸き上がった苛立ちに困惑してしまう。
しかし言葉にされない、そんな心情に二人が気付くわけもなく。
ミハエルは上体を起こしたエーリッヒを見上げると、嬉しそうに笑った。

「ありがとう、エーリッヒ」
「いえ…でも約束はちゃんと守って下さいね?」
「判ってるってば」
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