*retsu-go*

□幸福論
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不意に伸びてきた指先に目許を拭われ、苦笑を浮かべていたエーリッヒの瞳が僅かに見開かれる。

「そんな、今にも泣きそうな顔で言われて、“はい、そうですか”と納得できると思うか?…いつも言っているが、何でも溜め込んでしまうのはお前の悪い癖だぞ、エーリッヒ」
「…っ別に、何も溜め込んでなんて―――」

いません、と続くはずだった言葉は、立ち上がったシュミットに突然抱き締められたせいで、声に出すことなく口の中で消えてしまう。
だがすぐさまココがどこかを思い出したエーリッヒは、口を開くよりも先に、親友から離れようと手を突っ張ねた。

いくら周りが暗く、自宅から離れた場所といっても、月や街灯があるため、完全に自分達の姿を隠すことは不可能で。
言い換えればそれは、いつ誰に見られるか判らないということ。
人目を気にしないわけにいかない関係としては、そんな危険を自ら犯すことなど、出来るはずもなかったのだが――。

「…!?ちょ、シュミット」

けれど背中に回された腕の力が増し、離れるどころか密着していく身体に、エーリッヒは焦ったように声をあげた。

「は、離して下さいっ。こんな所、誰かに見られたら…」
「それなら心配するな。ちゃんと手は打ってある」

手…?と眉を潜めたエーリッヒにシュミットはにこりと微笑んでみせ。

「パーティーを抜けてくる時に、ちょっとした伝言を、な。急にいなくなると心配するだろう?」
「…それで、何と言って出てきたんです?」
「確か…“大好きなお姉さんを取られて悲しんでる親友を慰めてきます”だったかな」
「っ、っ、っ、…!?」

途端、真っ赤な顔で声を詰まらせたエーリッヒは、まるで酸素を求める金魚のように口をぱくぱくと動かす。

「ま、そういうわけだから、例え見られたとしても“慰めてる光景”ぐらいにしか思われないさ」
「………。まさかとは思いますけどソレ、アルターやフランツに言ったんじゃないでしょうね」

だが恐る恐る尋ねたエーリッヒに返ってきた答えは、予想を裏切らない文句で。
仕方がないだろう、と続けた親友に思わず溜息を一つ零してしまう。

「お前の姿がないんだと、浮かない表情で聞かれて…他に良い言葉が浮かばなかったんだよ。もとはといえば、黙ってパーティーを抜け出したお前が悪いんだぞ」
「でも、だからってそんなこと」
「だったら、今から訂正してきても構わないが…そうすると、お前がずっと溜め込んでいるモノを全部吐くことになるぞ?否定するなら、それに代わる“理由”を当然聞かれるだろうしな」

共犯者の私にさえ言えない、ココに抱えこんだモノを彼女に言えるのか?
言い様、僅かに身体を離したシュミットはエーリッヒの胸をトン、と指で突いてみせる。

「っ…さっきも言いましたけど、溜め込んでるモノなんて何もありませんってば。ココに居るのだって、単に外の風にあたりたかっただけで…。大体、共犯者って」
「共犯、だろう?」

シュミットは俯き加減だったエーリッヒの顔を上向かせると、反射的にきつく閉じられた唇へと自分のそれを静かに重ねた。
拒もうとする顔は、後頭部を押さえることで阻み。
角度を変えて繰り返されるキスが徐々にエーリッヒの固く閉ざされた唇を開かせていく。

「…んン…、ふ…」

そうして、拒んでいた手から力が抜け、口付けにも反応を返し始めた頃。
シュミットはあっさりと唇を放すと、微かに目許を赤く染めている相手の顔を覗き込み、静かに口を動かした。

「私もお前も、心から祝福なんてしていないんだから」

刹那、浅く呼吸を乱していたエーリッヒの肩が、ピタリと止まり。
その瞳は、信じられないモノでも見るかのように、大きく見開かれる。
それでも、今の台詞だけは否定しなければという想いから口を開こうとするが、実際に発した声は夜の闇に溶けてしまいそうなほど弱々しいモノだった。

「違っ…います。…本当に、心から……。貴方だって二人におめでとう、て」
「もちろん私だって、二人のことは祝福しているさ。…だが同時に、歯痒くもあるんだ。二人を見るたび自分の姿を重ねてしまって、嫉妬ばかりしていた」

どんなに望んだって、あの光景を手に入れることは叶わないんだから
お前だってそう感じていたんじゃないのか

そう付け加えたシュミットに、エーリッヒは違うと言いたげに首を振った。
だが否定というよりも、今の言葉に誘発され、溢れ出そうとしている“何か”を堪えるかのような必死さに、シュミットの脳裏に一つの光景が蘇ってくる。

それは教会での挙式を終え、出てきた新郎新婦を皆で祝福していた時のこと。
友人たちにからかわれながらも、幸せそうに笑う二人を見つめていたエーリッヒの横顔にふと、陰りが見えたのである。
そうして思い起こしてみれば、結婚式の準備が始まった頃からそんな表情をたまに見せていたことに気付き…。
思い当たる理由など、シュミットには一つしか考えられなかった。

「私を恨んでいるか、エーリッヒ?」

ぽつり、と零した声にエーリッヒの顔がゆっくりとあがる。
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