短篇
□エスケープ
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「それで、腹いせにあいつの車と運転手をふんだくってここまで来た。」
「それでは、ご迷惑をおかけしてしまいましたね……。」
「知ら無ェ、あいつが悪い。」
「でも助かりました。」
斜め後ろへと視線をめぐらせた男は、穏やかに笑っている彼女をみて歩いていた足を止めた。
それに合わせて慌てた様にして彼女もその場で歩みを止める。
「最近多いんだってよ。」
唐突に始まったその言葉に、首をかしげた彼女は黙って男を見返した。
毎日あくせく働く姿は、飽きるほど見てきたが、着ている服のせいかもしくは化粧のせいか、いつもとはまるで別人のような彼女をみて苦笑する。
「軟派。」
「……アレってそうだったんですか?」
「さあな。ただ被害が出てるから注意したほうが良いとか何とかって散々いわれてな。」
――まさか身内に被害がでるとは。
「こ、怖いですね……。危機一髪でした!貴重な体験を!」
「今更になって騒いでんじゃねえよ。貴重とか言ってんじゃねえ。」
いつの間にか調子を取り戻した彼女に手を差し出した男は、何食わぬ顔で先ほど彼女に渡したメモをその手に差し出されて無言でそれを受け取った。
「そーじゃねーんだけど……。」
「?」
「いや、気にするな。インク、羊皮紙、それと……。」
「ペン先も買ったほうが良いと思います、先日破損したと仰っていましたよ?」
「ああ。」
「折角それも含めお使いに行ったのに、これでは元も子もありませんね……。ご主人様にもご足労を……。」
「気ィ使うな。お前のせいじゃない。」
「あ、何かお礼をしたほうがよろしいでしょうか……。」
「あいつにか?」
「ご主人様の不安を煽って頂かなければ、私は危なかったかもですから!」
「必要ねえよ。」
「でも……。」
「いいんだよあいつには。」
「そうですか?」
「不安を煽ったっていう代償があるからな。」
そう言って今度こそ彼女の手をとって、何食わぬ顔で歩幅の速度を合わせて再び歩き出す。
先ほどまで緊張していたせいか、彼女の指先からは穏やかな気候にもかかわらず思いのほか低いひやりとした体温が男の指先に寄り添った。
「あ、あの!」
「ナンだよ。ちょこまかされるよりこの方が歩きやすいだろーが。」
「つ、ついて行きますからそんな、手をつながなくても――」
「……、うるせっ。」