短篇
□狛狐
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古い石畳、その先には小さな社がたたずんでいた。
社を護るのは対となっていた筈の狛狐。
しかし片割れは跡形もない。
「私ガ妻ヲ亡クシタノハモウ何百年ト前ノコトダ」
そうきりだしたのはこの社を守り続けてきた一匹の銀狐。
そんなことを聞いてどうしようと言うのだ、と続けた狐の視線の先には一人の青年が、社へと続く途中の階段に腰かけていた彼は、今はいなくなってしまい空席となってしまった狛狐の方へと目を向けた。
「いや、私がここへと住み着いてからは長い年月が過ぎたが……、余りにも出会い頭が親切だったなと思ってね。
お前と会った時のことを思い返していたんだ。」
狛狐へ言葉を返す淡々とした口調の青年は天狗だった。
彼がこの社へと住み着いたのは今からではもう数を数えられない程の年月が過ぎていた。
「コレハマタ随分ト昔話ヲ好ム事ダナ、何カアッタトイウノカ?」
「これと言って特にはないんだが…、少しは相手の事を知っとこうかなと思ったんだよ」
視線を狛狐本人には合わせることなく、そんな様子の天狗をみた彼は喉の奥で深く低く笑った。
「今更何ヲ……、貴様ノ事ハ詮索為た事ガ私ニハアリマシタカナ」
「其れを承知の上でなんだ銀狐……」
「コレト言ッテ面白イコトハナイゾ?」
そう言った狛狐はしかめっ面をしたが、幼子に昔話でもって聞かせるかのように口を開いた。
対となって神に遣える狛。
立派とはいえないが小さな社に住む神がいた。
そこに住む神は小さな可愛らしい神様だった。
名前は無かったが、"カミサマ"という呼び名で十分事足りた。
カミサマは一つ処にはとどまってはいなかったので、周辺に生きるとても小さな花や虫から、大きくそびえ立つ老木までにも宿る精霊と言った方が正しかったのかもしれない。
2匹は元々社の周辺に住んでいた狐だったのだが、天候の不具合によって雨を凌ぎにこの社へと逃げ込んだのがカミサマとの初めての接触だった。
他愛のない話を中心に二匹とヒトリの世界は回り廻り続けて、早くも一年がたとうとしていた時だった。
「明日からまた見回りにでるでな、2日3日留守にするぞ」
そう言ってカミサマは出ていったきり姿を消したのである。
「カミサマカミサマっ!!」
けたたましく声を張り上げて二匹は姿が見えなくなってしまったカミサマを探した。
カミサマが見えなくなってからと言うもの、社は荒れ果て、社周囲に生い茂っていた草木は生気を無くしたかのように徐々に枯れ始めた。
辺りが暗くなるまでカミサマを探し回り、へとへとになりながらもやっとこさ住処の社へと戻ってきた時だった。
「何と薄汚い建物か……」
声が聞こえなければ二匹は危うく草村から出ていただろうその場に瞬時に伏せると、
聴覚と双眸を研ぎ澄ませると息を潜めた。
「こんなものがあるから我々の国の治安も悪くなってゆくものというものだ、こんなモノ潰してしまえ」
「は……、しかしここの山を守る神の住処と聞いておりますが…」
でっぷりと肥えた男へと、それに遣えているのか姿勢の低いもう一人の細い男が少し傾き始めた社を横目に、言葉を返す。
「貴様はそんなことを考えているのか小さな男だな」
「で…、ですが」
「神などこの世になどいないと言っているのだよ、さっさと此処も壊すように手配したまえ。それと」
その次の言葉を聞いた時だった、
「自らの事をカミサマと名乗ったあの小さな童子だが、あれもここの開拓には邪魔なだけだ」
――殺してしまえ。
「私ノ妻ハ堰ヲ切ッタカノ如ク、私ノ横カラ人間共ノ前ニ躍リ出テイタ」
銀狐は幾重にも分かれた尾を悔しさを紛らわせるかのようにくねらせて、高い空を仰ぎ見た。
「じゃあカミサマと言う方は……」
「社ノ周囲ニ咲キ誇ッテイタ花ヤ青々トシテイタ筈ノ草木ガ私ニ教エテクレタ」
カミサマに愛されていなければ生きてはゆけない存在だったのだ。
「ソノ時私ハ絶望ノ縁ニ立タサレ、人間共ガ此処ヨリ立チ去ッタ後、何日カ朽チルシカナイコノ森ヲ呻吟ッタ」
歩いてあるいてアルイテ疲れ果てて……、もう何も考えられなくなって。
息も絶え絶えになった狐は眠りに堕ちるかのように、意識を手放した……。
「私ハコレデ事切レル、ソウ思ッタ時ダ」
気が付けば毛並みの色は銀へと変わり、いつの間にか社の前に座りこけていた。
「死シテ尚モ妻ノ下ヘト逝ケヌノカト嘆キ始メヨウトシタトキダッタ」
風が渦巻き、目の前にただ植わっているだけの朽ちようとしていた桜の木が、はらはらと花を彼の目の前で咲かせて魅せたのである。
「マルデ目ノ前ニ私ガ慕ッテイタ カミサマ ガヒョッコリト帰ッテ来タカノヨウナ錯覚ニ陥ッタ」
暫し呆然と花が開花する様子を眺めていると、再び風がどこからともなく吹いた。
銀狐はその風を体に受けながらカミサマに以前教えて貰った事を思い出した。
「この世にはな、俄に空中から吹きおろしてくる旋風が吹く事がある。ソノ風が吹いたら季節の変わり目なのだ。覚えておくと良い、季節が変わり行く様は死しても見る価値があるだろうよ」
「そして……」
「天狗が近くにいる事を示している」
「私ハ天狗ト云ウ者ニ興味ガ湧イタ、何モスル事ガ無イ私ニトッテ、オ前ニ会ウト云ウ事ガ私ノ存在意義ニナッタ」
それから銀狐は社の守り神となったのだ。
「それで私が此処を住処としても何も言わなかったんだな」
「転ガリ込ンデ勝手ニ住ミ着イタハ貴様ノ方デアロウニ?」
「……、今現代住みにくい世の中になってしまったんだ。仕方ないだろう」
銀狐は今度は悪戯を含んだ子供のように、くつくつと愉しげに笑って見せると、天狗の横へと移動し顔をすり寄せた。
「私ハモウ実体ヲ持ッテイル訳デハ無イガ、オ前ニハ触レル事ガデキル……、之カラモ私ハコノ社カラ出ルツモリハ無イ、ナラバオ前モ困ル事ハ無イダロウ?時ガ来ルマデ居座レバ良イ」
そう言った狐は天狗へと拒否権を示そうという気は毛頭無かった。
それを悟るかのように天狗は笑って立ち上がる。
「御言葉にこれからも甘えてゆきたいと思います」
銀狐はカミサマと迎えられ無かった次の季節を、天狗は背負った大事な仕事を抱え、
ヒトリと一匹は新しい季節を迎えようとしていた。